補記
自覚の有無
形あるものは壊れ、生あるものは死ぬ。
これは如何ともし難い天命である。
故に自分はその瞬間瞬間を愛し、その今を尽す以外にないのである。
酒盃を愛せば酒盃は物であるからいずれ壊れることを自覚するべきである。
妻を愛せば妻は人であるからいずれ死ぬことを自覚すべきである。
その自覚の有無こそが、その愛の深さの土壌となるのである。
例え大事にしていた物が誰かに壊されようが、大切な人が不慮の事故で死のうが、それは自分には致し方のないことである。
だからその時は、その如何ともし難いことを自覚しながら、大いに悲しみ大いに痛めばいいのである。
自覚さえあれば、決して己の心までも亡くすことはあるまい。
他を責めることもあるまい。
そして、その死すらも、無駄にはしまい。
別にその外形を愛していたわけではないことを己で自覚すればよい。
それと共にあった日々は、それと共に尽した日々は、決して失われることはないのである。
その大切なる日々を心にとどめて、更に新たなる日々へと旅立てばよい。
表面を愛する者はその理由を形の上に求めてしまうのみである。
だが、あらゆる事象の本来の姿は形の上になどは存在しない。
すべては自分の心によって生じているだけなのである。
同じ事象であっても感じ方は人によって千差万別であって、人それぞれだ。
それぞれでありながら、その本質は一である。
そこを自覚せねば、その人生は形に追われるだけの人生になってしまうであろう。
人が為せるのは、ただ、大いに自覚し、大いに愛し、そして大いに自らの人生を全うするのみなのだから。
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