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補記

為すと為さざる

古代エジプトにおいてバーとカーが存在するように、古代中国では鬼神という考えがある。
孔子が礼記において「鬼の盛んなりしものを魄という。誰しもが必ず死し、死ねば土へと還る、これを鬼という」と述べているように、鬼とは人が死したるもののことをいう。
先祖を崇敬し、尊重し、その意志を受け継いでゆく、この行為は人の重要な祭事である。
そして、本来の姿として、これは各々が各々の子孫を祭るものであって、他人がわざわざしゃしゃり出て行うべきものではない。
名誉富貴を願い、長命を祈り、そして災いを逃れたいと拝む。
たくさん祭ればそれだけ福が舞い込んでくるとでもいうように、自分の為に祭る。
これでは神に諂っていると呼ばざるを得ない。
達磨が梁の武帝に「無功徳」と喝破したように、私心無くして為すことでなければ、それは何も生みだしはしないのだ。
私心無くして為すべきことを知るは真の義である。
そして、ここを果断して実行するは真の勇である。
これを為せるを無心といい、故に一心に念仏せよという。
己の本来抱きし心のままに、その生を昇華させるだけなのである。

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