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補記

万境に随う

人は己の万境に随わずして他の万境に随うが故にその心を放溺する。
本当の心は自由無碍、他に捉われるところなくして全てに通ず。
これは己が主となって己に立って事を決するが故である。
否、決するところも無くしてあるがままに随うが故に、自然にして事が運ぶという方が妥当であろうか。
人は祈るが、本当の祈りは自然に溢れる感謝でなければならない。
その祈りは無心であって、只だ、己自身のあり方を問うのである。
求めるのではない、恃むのではない、問うのである。
言葉に非ざる対話であるが故に、遂には仏とその神を通ずるのであろう。

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