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先頭が「と」の語彙の意味と読み方

(とく)

徳は原字の直+心に行動を表す「彳」と書かれる。
字から読み取ると、直き心への実践から現れたものが徳となる。
直き心は素のままの心であり、万物各々に自然として備わっている長所、潜在的な力をいう。
ただし、人においては必ずしも善に定まるものではない。
本来的には長所である徳も、人には情ありて善悪生ずるが故に、徳に善徳有り、悪徳有り、そこで人においては道を修めて直き心へと反ることを説く。
故に韓愈は原道において「仁義は誰が為すも善、道と徳は人により異なる」「道に君子小人の別有り、徳に吉凶善悪の別有り」とし、「仁義によりて発せられしが道徳である」と述べ、周濂渓は通書において「徳は仁義禮智信、人の本性に備わりしもの」とし「自然と体現するは聖、自ら修めて賢」と述べている。
また、老子は「上徳は徳あらず」と述べ、人間の「徳だ道だ」と固執して本来の姿に非ざることを戒めて、徳を自然と存するにまで至らねば徳ではないとしている。
真に歩むべき道は、本来は道としてすら意識されぬものであり、そこまで達してこそ徳は本当に真実の姿として、自然のままに、その人間に発現されるのである。

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徳に関する出典・逸話・訳・書き下し文

古典関係

徳に関する古典の参考

  • 正直中和、之を徳と謂ふ。才なるは徳の資なり、徳なるは才の師なり。夫れ徳は人の厳む所なるも、而して才は人の愛する所なり。(司馬光:資治通鑑-周紀[威烈王][10]
  • 是に由りて之く、之を道と謂ひ、己に足りて外に待つこと無き、之を徳と謂ふ。道に君子有り小人有り、而して徳に凶有り吉有り。(沈徳潜:唐宋八家文読本-韓愈[原道][1]
  • 上徳は徳あらず、是を以て徳有り、下徳は徳を失はず、是を以て徳無し。上徳は無為にして以て為す無く、下徳は之を為して以て為す有り。(老子:老子道徳経[38]
  • 悲楽なる者は、徳の邪なり、喜怒なる者は、道の禍なり、好悪なる者は、徳の失なり。故に心に憂楽あらざるは、徳の至りなり。(荘子:荘子-外篇[刻意][2.2]
  • 凡そ徳は無為を以て集まり、無欲を以て成り、不思を以て安んじ、不用を以て固し。徳とするは則ち徳に無く、徳とせざれば則ち徳に有り。故に曰く、上徳は徳あらず、是を以て徳有りと。(韓非:韓非子-解老[1]
  • 徳は得なり、天に得て心に主たる者なり。徳は未発の善なり、未発にあらざれば心の根たること能はず、故に未発の善を至善と云ふなり。(熊沢蕃山:孝経小解-開宗明義[2]
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