先頭が「ち」の語彙の意味と読み方
紂
殷30代目の最後の帝で本名は辛。
暴君の代表として桀と共に有名で、周の武王に滅ぼされた。
紂というのは「不徳」「不義」を表す言葉で、悪行から人々がつけた呼び名だとされる。
尚、殷が滅んだのは紂の暴政というよりも、東夷の征伐を積極的に行なって山東省一帯の統治に目が向いている隙をつかれて都を落とされたという説が強く、今に伝わる紂の悪行の数々も、後世に付加されて誇張されたものである可能性が高い。
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紂に関する出典・逸話・訳・書き下し文
古典関係
紂に関する古典の参考
- 帝辛に至る、名は受、号して紂と為す。資弁捷疾、猛獣を手挌し、智は以て諫めを拒ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。(曾先之:十八史略-殷[紂王])
- 帝乙崩ず、子の辛立つ、是れを帝辛と為す、天下に紂と謂ふ。(司馬遷:史記-本紀[殷本紀][29-30])