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先頭が「た」の語彙の意味と読み方

達磨(だるま)

禅宗の開祖。382-532年。
150歳まで生きたとされる。
インドで生まれ、6世紀初めの頃に布教のため中国へ渡り梁の武帝に謁見したが、それを喝破かっぱして飄然ひょうぜんと去り、嵩山すうざんの少林寺に篭った。
しばらくして達磨の道風を慕って慧可えかが現れ、達磨は慧可にその真髄を授けたとされる。
達磨は道に入るには、智慧を磨いて真性を観ずる理入「思索的方法」と体験を深めその真性を証得する行入「実践的方法」の二種ありとし、常にどちらに堕することのなくこの二種を貫いて真性に帰一することを旨とした。
尚、縁起物として親しまれている「だるま」は達磨の面壁九年の坐禅伝説が起源で、その坐禅姿を模したものとされる。

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エピソード

梁の武帝は仏教を信仰し、多くの寺や経典を翻訳させて功徳を積んだつもりでいた。
そこで達磨の渡来を聞いた武帝は、達磨と謁見して尋ねた。
「私は即位以来、寺を造り経典を写し僧を挙げ、仏教振興のために尽してきたが、如何なる功徳があろうか」と。
しかし達磨が平然として「並びに功徳無し」と云った。
びっくりした武帝は「どうして功徳がないのか」と尋ねたが、これに対しても達磨は「これはただ人天の小果、煩悩の因、影の形に随うが如く有りと雖も、実に非ず」と答えた。
何がなにやら分らない武帝は「では仏教の第一義とは何であろうか」と尋ねた。
これに対して達磨は云った、「不識」と。
名僧と聞いていた武帝は不審に思って「それではお前は一体何者なのだ」と尋ねた。
これにも達磨は云った、「不識」と。
達磨はそのまま飄然として去っていったという。

語句解説

慧可(えか)
慧可。隋代の禅僧。達磨の跡を継ぎ中国禅僧の第二祖とされる。達磨に弟子入りするために自らひじを落とした「慧可断臂」の伝説は有名。
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事物を理解し判断するもの。必ずしも良い意味のみを含む訳ではない。…


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