先頭が「そ」の語彙の意味と読み方
曹参
前漢の相国。生年不詳-前190年。
もともとは沛県の獄吏であったが、同じく沛県で役人をしていた劉邦の挙兵に従がって各地を転戦し、後に蕭何の跡を継いで臣下として最高位である相国となった。
曹参は黄老の学を重んじ、無為自然を旨としたとされる。
人民はその治世を称え、賢相として崇めたという。
史記の曹相国世家にその伝がある。
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エピソード
曹参と蕭何は仲が悪く、蕭何が漢の宰相となると曹参は斉へと追いやられて斉の宰相をしていた。
やがて蕭何が亡くなると、曹参はおもむろに引越しの支度を命じた。
驚いた夫人は「蕭何とあなたの仲の悪さは天下周知の事です。そんな仲の悪い蕭何が、あなたを後任に推薦する訳がないではありませんか」と言った。
これに対して曹参は「我と蕭何の仲が悪いのは私事である。天下国家の事となれば、蕭何の後を継ぐのは我しか居らぬことなど、蕭何ならばよく承知しているはずだ」と答えた。
曹参がそのまま支度を続けていると、使者が来て宰相に命ずるとの通達があった。
曹参はこれを承って悠々と上京したという。
曹参は上京するに当って後任の宰相に「獄と市は大度を以て容れるのだ。妄動は慎まなければいけない」と言った。
後任の宰相が不思議に思って「治めるのにもっと大事なことはないのでしょうか」と問うと、曹参は「獄と市は善悪を兼ね容るところである。これを無闇やたらと厳しく取り締まれば、逃げ場が失われる。人は安んずるところが無ければ甚だしくなるばかりである」と答えた。
蕭何の後を受けて宰相となった曹参は、ろくに政務も執らずに遊んで暮らしていた。
これに呆れた恵帝は曹参の息子に「部下に任せてばかりで、何もせずに遊んでいるのはどういう訳か」と問い詰めさせたところ、曹参は激怒してひっぱたいた。
仕方ないので恵帝は出仕した曹参を捉まえて自分で問い詰めた。
これに対して曹参が言った「恐れながら、陛下は高祖皇帝と比べてどちらが優れているとお考えでありましょうか」と。
恵帝は「わしなど到底及ぶべくもない」と答えた。
更に曹参は問いかけて言った「それでは前任の蕭何と私ではどちらが優れているとお考えでしょうか」と。
恵帝は「蕭何と比べてはお前でも敵わないだろう」と答えた。
そこで曹参が言った「その通りでございます。高祖皇帝と蕭何は天下を安んじて法令を定めました。その高祖皇帝に及ばぬ陛下と蕭何に及ばぬ私とで、いまさらなんの特別なことをする必要がありましょうか。私達はそれをしっかりと守ってゆけばよいのです。それが天下を安んずる道でありましょう」と。
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