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先頭が「し」の語彙の意味と読み方

邵康節(しょうこうせつ)

北宋の学者。1011-1077年。
本名は邵雍、字は堯夫で諡して康節先生と呼ぶ。
宋学の提唱者で易を基礎として宇宙論を究め、象数論を開いた。
范陽の人で、幼いときに父に随って共城へと行き、その共城の令であった李挺之から図書先天象数の学を授けられ、やがて洛陽に移って隠遁生活を続ける。
貧しい生活であったが、その交友は司馬光や富弼、程明道、程伊川など多岐に渡った。
熙寧の初めには官に推薦されたが辞して受けず、熙寧10年の7月5日に卒した。
享年67。

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エピソード

邵康節は貧しいながらも道を楽しみ、その居に「安楽窩」と名付け、自ら「安楽先生」と号した。

邵康節の人柄に洛陽の人々は慕い、その困窮を見かねて宅を買う者まで現れた。
また、丞相の富弼は園を買ってその窮乏を和らげた。

邵康節は自らの病が厳しくなった時、見舞いに来ていた司馬光に「吾の逝きて化するが様を共に観ようではないか」と戯れた。
司馬光が「まだまだそのような事を言ってはいけません」と答えると、笑いながら「死生も亦た常時のみ」と述べた。

程伊川が邵康節を見舞って「さて、永訣をなさんか。更に告げることはあらんか」と問うと、邵康節は両手を挙げて示した。
程伊川が「どういう意味ぞ」と問うと「面前の路、須らく寛ならしむべし。小路では自分一人の身ですら危い。どうして能く人をして行かしめようか」と答えた。

程伊川は邵康節の超脱した姿を称えて「風流の人豪」と述べている。

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