先頭が「し」の語彙の意味と読み方
新法・旧法の争い
北宋時代に起きた政治闘争。
新法派として王安石、旧法派として司馬光が有名。
ただし、旧法派といっても新法に反対する人々のことで派閥として固まっていたわけではない。
当時の宋は軍権を極端に中央集権にした結果、国家予算の6-8割を消費する程の維持費が掛かるなど、財政再建は急務であり、新法による行政改革は国の財政難を克服し、基盤を強固にすることを目的としていた。
王安石は地方官の頃に同様の施策を行い、その地方では見事に成功していたとされ、現在では新法は合理的で優れていたという説が強い。
ただ、この件に関して宋名臣言行録では「地方に行うことは可であっても、天下に行うには不可であった」と言及している。
尚、時代の変遷と共に王安石の理念も失われ、新法派は旧法派に対する権力集団と化して対立は激化し、北宋滅亡の原因とまで評されるようになった。
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宋名臣言行録
故に熙寧の初、執政となりて、行う所の法、皆な此に本づく。
然れども公、一邑に行うは則ち可なるを知りて、天下に行うの不可なるを知らざるなり。
王安石は地方官の時、その地方に対して新進的な政策を実施し、地方の人々はこれを便として喜んだ。
そこで、執政となった王安石は、地方で成功した政策を本に新法を実施した。
王安石は、一地方に行うには良くとも、天下に広く実行するにはそぐわぬことを気付かなかったのである。
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新法
・青苗法
貧農救済法。
春になっても種もみを買うお金が無い土地を持たぬ零細農民は、地主から半年で七割から十割という高利の金を借りて買っていた。
これを政府が低利の資金を貸し付け、収穫が終わった時点で二割の利息をつけて返済するというもの。
決して強制貸付でなく希望者を対象としていた。
しかし、「青苗は、二分の利を取る雖も、民の請納の費、十の七、八に至る」とあるように、青苗銭を借りるために懇請する費用が多くかかるという官業の問題点を含んでいたともされる。
・均輸法
当時の税は物納が多く、その地方で最も多く産する産物をもって納付して中央に輸送していた。
この輸送の負担を均等化するというもの。
それまでは物資の輸送と物価の決定権が大商人に握られており、これを政府の手に取り戻すことで物流を円滑にし、同時に中間で利潤をあげる者を排除してその利益は政府に入り、政府の財政も豊かになるというもので経済的に大きな意義があったとされる。
だが、旧法派の強力な反対によって頓挫した。
・差役法の廃止と募役法の実施
差役法は太宗以来の賦役制度で、人民を九階級に分けて上の四階級に労務を課し、下の五階級には免除するというものであった。
募役法では財力ある者から免役銭をとり、政府がこの金で労賃を払って貧困者を就労させるという制度。差役法で特に苦しんでいたのは勤勉な中小地主で運搬の差役のために没落するものが多く、農村を疲弊させていたのでこの新法は歓迎された。
また、旧法派の中でも支持者は多かったが、労役の義務のなかった層からも徴収することになるために批判もまた強かった。
・預買法と市易法
預買法は各地方庁に命じて予め商人や業者に融資して、つむぎ紬や絹が生産されたとき官民協定値で貸金だけの品を官に納入させるというもの。
市易法は中小商人に政府が半年一割という低利資金を貸し、売れない産物は政府で買い上げるか政府手持ちの物産と交換し、また買い手があれば売って需給を調整する法。
預買法と市易法は、貨幣経済発達と共に発達した商工業の利益の大部分が、官僚と結託する大商人に独占されていたのを是正するためという面が強いとされる。
・保甲法と保馬法
保甲法は従来の傭兵制度をやめて国民皆兵の民兵制とし、いくつかの戸を組み合わせて連帯責任を負わせ、農閑期に軍事訓練を実施し、平素には自治組織としての役割を担わせるというもの。
保馬法は官費を支給して馬を飼育させ、平時には農耕に使い、戦時には軍馬として用いるという法。
どちらも目的は軍備予算の削減という面が強く、莫大な維持費が掛かっていた傭兵制度からの脱却を図った。
尚、それまでは軍馬も巨額の費用をかけて政府が養っていた。
・方田均税法
千歩四方を標準として土地を肥沃に応じて五段階にわけて税額を決定するのが方田法。
県吏が米や絹などの納税品を計算するとき、端数を切り捨てて私腹を肥やすことを法的に取り締まるのが均税法。
租税の公平な負担と税収増大を図るために公布した。