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先頭が「し」の語彙の意味と読み方

朱子学(しゅしがく)

朱子学とは南宋の時代に朱子によって再構築された儒学の学問体系のこと。
自己と社会・宇宙は理によって結ばれており、修己によって理を把握し治人に至るとした。
朱子の学説は性即理とされ、陸象山の心即理と対比される。
朱子学は程朱学とも呼ばれ、また、朱子自身は「道学」と称していた様に、その思想は北宋時代の周濂渓、程伊川などの影響が色濃くあるとされる。
朱子学の基本は一事一物それぞれに存するとする理を窮めることにある。
朱子学においてはあらゆる事物に即いて一物の定理を追求する(格物致知)。
これは心についても同様で、心にもその深層には理が存するとし、それは人の本性は善であるが、外物に触れて動くことによって喜怒哀楽の情に変化する。
この情というものは人の欲によって覆われたものであり、本来の理の発現を阻害するものである。
そこで、格物致知と共に常なる居敬によって心を安静の状態へと赴かせ、自己の完成を目指した。
言うなれば博覧と共に無の境地を目指したのである。
官を固辞して古の聖賢の学を志したという李仁曲が「陸子の教えは人をして言下に悟って自得せしめ、朱子の教えは整然と順序をふんで初学の者には非常に都合がよい」とその違いを述べているように、朱子学は個々の理を追求するが故に学び易くはあるが、居敬による自己練磨が同時に為されなければならず、そうでなければ事物の理を追求しているつもりが、その実、単なる知識を得ただけであったという事に陥りかねない。
朱子が没して後に、朱子学は国の政治に利用されるなどして勃興したが、往々にして窮理ばかりに目が向けられて居敬を失する傾向があり、単なる博学の才子ばかりが跋扈して真の朱子学の哲理を窮めることはなされなかった。
やがて、陳白沙のように自己を徹見した結果、心と理が一致せぬことに苦しむ者も現れ、それらが相俟って程明道、陸象山を源流とする心学が登場することになる。

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エピソード

後に陽明学を起こして朱子学と対比されることが多い王陽明も青年時代には朱子学に没頭し、竹には竹の理があるはずだとして始終竹と向き合ってみたが遂に得るところなく、次第にその思想を変遷していったとされる。

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