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先頭が「し」の語彙の意味と読み方

朱子(しゅし)

朱熹(しゅき)の尊称。1130年-1200年。
朱熹は中国の宋代の儒学者で朱子学の創始者。
程伊川等の思想を発展させ、性即理と格物致知を根本とする朱子学を起こした。
著書に「四書集注」「近思録」「周易本義」「小学」などがある。
また、礼記の一篇に過ぎなかった「大学」と「中庸」を独立させ、「孟子」「論語」と共に儒教を学ぶ者の必読の書としての立場を確立した。
朱子は1130年に福建省で生まれ、幼少時には父から学問を教わって「論語」「孟子」などの経典に親しんだ。
14歳の時に父が没すると、その遺言もあって父の学友であった胡籍渓、劉白水、劉屏山の3人に師事し、19歳の時には科挙に及第して役人となったが、実際の役職に就くことはあまりなく、自らの思索に励んで著述に専念したとされる。
やがて李延平に師事し、張南軒と交友するなどして自己の思想を体系化し、40歳にして朱子学の大綱を確立。
自らの思想を確立した朱子は、50歳の頃から地方官を歴任して社倉法などの地方政策を実施し、その地方を安撫して声名が高まった。
65歳の時に寧宗が即位すると政治顧問官に任命されたが、当時権力を握っていた韓侘冑かんたくちゅうの専横を批判して怒りを買い、わずか45日にして罷免された。
更に1197年には韓侘冑によって逆党と称せられて官に就くことを禁じられ、1198年には偽学の禁の詔勅が発布されて朱子の学説は弾劾された。
不遇の中にも弟子と学問に励んでいた朱子は、1200年にその行く末を案じながらこの世を去ることになった。
享年71歳。

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語句解説

社倉法(しゃそうほう)
物の貯蔵と貸与の取り決め。普通は二割の利息を取るが、飢饉などで窮する場合にはその比率を大幅に下げて救済した。
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