先頭が「せ」の語彙の意味と読み方
政治
一般的に国を治める意に用いられる。
「まつりごと」とは本来、「祭り事」であり、祭事をいう。
古代において、祭る対象とは人の及ぶべからざるところの存在、すなわち神であり大自然であって、これを執り行うことは国家の大事であった。
なお、現在の「政治」という字句から解釈すれば、政と治はどちらも「おさめる」という意を持つ。
政は説文解字の攴部に「正なり。
また、治の本義は治水であり、水を流れに沿って自然におさめることであるから、政治とは周囲の矛盾撞着を一掃し、水を治めるが如くに然らしめる方向へと矯正していくことをいう。
故に政治を私して妄りに行えば、それは水の流れに逆らうが如き強制支配に過ぎず、その帰結は堤防の決壊するが如くに国は廃乱の憂き目をみる事になり、逆に矯正するところが正なれば、それは自然のあるべき所に帰せしむるのであるから、流れに沿って和順するに至る。
政治の要所に在って小人が疎まれ、君子が貴ばれる所以であろう。
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祭事
事と士と仕は同声。祭事に従う者が士、
政治に関する出典・逸話・訳・書き下し文
古典関係
政治に関する古典の参考
- 国を治むる道は、義を以て利とし、利を以て利とせず。王者の天地の造化を助ける道は、賢才をあぐるより先なるはなし。(熊沢蕃山:孝経小解-三才[2])
- 諤諤の争臣有る者、其の国昌んなり、黙黙の諛臣有る者、其の国亡ぶ。(熊沢蕃山:孝経小解-諌諍[2])
- 徳義尊ぶ可し、作事法る可し、容止観る可し、進退度す可し。以て其の民に臨む、是を以て其の民畏れて之を愛す。(曾子:孝経[父母生績])
- 仁義によりて行ふは王道なり、天下仁義の心を興すは則るなり。仁義をかりて行ふは覇道なり、主とする所は利なり、故に民、則る事なし。是れ逆なればなり。(熊沢蕃山:孝経小解-父母生績[2])
- 赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る。躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。君子を罔ること勿れ。小人に殆きこと無かれ。(孔子:詩経-小雅[節南山之什][節南山])
- 水清ければ大魚無し、宜しく蕩佚簡易なるべし。(曾先之:十八史略-東漢[孝和皇帝][班超])
- 老いて妻無きを鰥と曰ひ、老いて夫無きを寡と曰ひ、老いて子無きを独と曰ひ、幼くして父無きを孤と曰ふ。此の四者は天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王は政を発して仁を施すに、必ず斯の四者を先とす。(孟子:孟子-梁惠王下[5])
- 之を道くに政を以てし、之を斉ふに刑を以てせば、民免れて恥づること無し。(孔子:論語-為政[3])
注釈関係
古典関係の書籍から抽出
- 政を為すに徳を以てすれは、則ち動かずして化し、言はずして信、無為にして成る。守る所の者は至簡にして能く煩を御し、処る所の者は至静にして能く動を制し、務むる所の者は至寡にして能く衆を服す。(久保天随著「漢文叢書第1冊」67/600 - 范祖禹)