先頭が「さ」の語彙の意味と読み方
三法印
三法印とは仏教における「諸行無常」「諸法無我」「
万物は流転して変化窮まりないけれども(諸行無常)、そこに横たわる理法には個々の理を超えた絶対的な動かさざる存在がある(諸法無我)。
故に極限に至りて全ては合して一となり寂静を得る(涅槃寂静)。
極限に至るとは静が極まりて動となり動が極まりて静となる、その間に生ずる絶対的な無の状態のことをいう。
また、寂静を得るとは、宇宙自然、あらゆる事象の根源そのままになることである。
そして寂静なるが故に、万物はその個のままに各々の分を尽して創造発展を遂げるのである(諸行無常)。
諸行無常であり諸法無我を存するが故に涅槃寂静であり、涅槃寂静であるが故に諸法無我を存し諸行無常となるのである。
この思想は儒教における易の三義に通ずるものであろう。
尚、この三法印に「一切皆苦」を加えると四法印となる。
一切皆苦とはあらゆる事象は不完全であることをいう。
あらゆる事象は諸行無常なれども、諸法無我なるを知り涅槃寂静に至らねばその真を悟らずして一切皆苦でしかないのである。
諸行無常なるが故に一切皆苦ではあるけれども、諸法無我を存するが故に涅槃寂静に至る。
そして涅槃寂静なるが故に諸法無我は万物に備わり、一切皆苦なるを自覚して万物は諸行無常にして創造発展を遂げるわけである。
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追記
一切皆苦は「あらゆる事象は不完全である」というよりも「あらゆる事象を受け入れる」とした方が妥当かもしれない。
つまり、諸行無常であり諸法無我である万物の真実の姿を、己を以て受けとめ自覚し和する、つまり統一する。
空しき不安定なる存在であるからこそ、全き存在でもあることを真に知るは、あらゆる事物の理を己を以て体認せし者でしか至り得ない。
ここに至らば、全ての事象が己と共に流れるは必然であり、遂には無たる境地が顕れるのであろう。
(2009.05.02記)
語句解説
- 涅槃(ねはん)
- 吹き消すこと。消滅の意。煩悩を消滅させ絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地。
- 苦(く)
- 苦の原語はドゥッカで「空しい、不満、不安定、苦しい」といった意味があるとのこと。
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