先頭が「さ」の語彙の意味と読み方
佐藤一斎
江戸時代の儒学者。1772-1859年。
美濃岩村藩の家老職の子で、1790年から家臣として仕え、藩主の三男であった林述斎と共に儒学を学んだ。
また大阪の中井竹山にも学び、やがて林述斎が林家を継ぐと師弟の礼をとった。
1805年、林家の私塾の塾長となる。
1841年、林述斎の死去により幕府に命じられて昌平坂学問所の総長となる。
その門下は三千人を超えていたとされ、佐久間象山、山田方谷、横井小楠、渡辺崋山などの多くの俊秀を輩出した。
佐藤一斎が著した言志四録、重職心得箇条は指導者のバイブルとして有名。
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エピソード
佐藤一斎の門下に山田方谷と佐久間象山がおり、寮に住んでいた二人は深夜になると決まって激しい議論を展開した。
これに困った寮生が佐藤一斎に「夜中に議論をする者がいて困っております。なんとかして下さいませんか」と訴えた。
佐藤一斎が「それは誰だ」と問うと「山田と佐久間でございます」と返答があった。
佐藤一斎はしばらく考え込んでから「あの二人か、それならばしばらく我慢せい」と言った。
佐藤一斎は昌平坂学問所の儒官であり、幕府と深い関わりがあった。
当時の幕府は朱子学を採っていたので佐藤一斎も立場上は朱子学であったが、陽明学の影響も色濃く受けて両方に通じていたので「陽朱陰王」と呼ばれた。
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