先頭が「え」の語彙の意味と読み方
慧春尼
華綾慧春(かりょうえしゅん)。
南北朝時代の曹洞宗の尼僧。
生年は不詳、没年は1402年とされるが、1408年や1411年という記述もある。
相模の糟谷の人で、小田原・最乗寺の了庵慧明の妹。
30歳を過ぎた頃に兄の元で出家。
晩年、最乗寺三門前の石の上において柴棚を組んで自ら火を放ち、その中で座禅を組んで火定した。
五月二十五日のことであったという。
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エピソード
慧春尼は三十歳を過ぎた頃、兄の了庵禅師に出家を願ったが許されなかった。
黙って退いた慧春尼は顔を火鉢で縦横に焼き、兄の元に戻って「古人法を求むるに身命を惜しまず。我れ今形骸を枯木にす。請ふ出家を許せ」と再び願った。
兄の了庵はやむなく許したという。
慧春尼は美貌であったとされ、多くの男に付き纏われたが少しも構うことはなかったという。
顔を焼いて出家した慧春尼であったが、それでも若僧から恋焦がれ、寝床に這いこんで来たその僧に泣きながら口説かれたので、慧春尼は「これ易事のみ。我と汝は僧であるから、交わるならば尋常のところはよしましょう。私に考えがありますから、その期に及んでは拒んではいけません」となだめて帰した。
その数日後、了庵上堂の大会の日、慧春尼はわざと性の大事について人々へ法問を向けた。
誰もが、偉そうに構えながら性のことに触れると口しぶる。
そこで慧春尼は、先夜の若僧の名をさして「論議では埒があきません。先の夜、御僧がお望みであったお約束事を、ここで果たそうではありませんか。さあお進み下さい」と、禅床の真ん中へ出て衣を解きかけた。
若僧はその場から逃げ出したのみならず、山からも姿を消してしまったという。
ある時、了庵禅師は円覚寺に用事があって山内の者に使いを頼もうとしたが、円覚寺に行くとやり込められるので皆恐れをなして行こうとする者がいない。
そこで、慧春尼は自分が行くと名乗り出て一人円覚寺に向った。
禅門の慣例で一山の大衆が山門に迎列して法問答を行なうことになっており、平素、慧春尼の機鋒を知っていた円覚寺の僧たちは不意に出てその鋒を挫かんと待ち構えていた。
やがて慧春尼が石段を登ってくるのを見かけると、ひとりの禅僧が前へとすすみ、いきなり法衣の裳を高く捲し上げ、「老僧が物、三尺」と大喝した。
これに対して慧春尼は平然として、彼にならって自分の裳を高く翻し「尼が物、底無し」と喝破した。
相手の僧は茫然とし、他に問う者もいなかったという。