先頭が「え」の語彙の意味と読み方
易の三義
易の三義とは易の字に含まれる変易・不易・簡易の三つの意味のこと。
「変易」はかわるものが更にかわる。
あらゆる事物は常に創造変化であるということ。
「不易」はかわるものだがかわらない。
万物の創造変化には必ず一定の理、法則性、根源が存在するということ。
「簡易」はかわるものがらくにかわる。
その変化と一定の理を明らかにすれば変易へと導くことができるということ。
尚、易経では「窮まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」と云い、極限から開放(簡易)、そして動(変易)、さらに動が極まりて静(不易)へと常に巡ることを示している。
また、周濂渓はその太極説で「無極にして太極なり。太極動きて陽を生じ、動極まりて静なり。静にして陰を生じ、静極まりてまた動なり。一動一静互いに其の根を為し、陰に分れ陽に分れて両儀立つ」と云い、最後に「大なるかな易、斯れ其れ至れり」と結んでいる。
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追記
簡易についてだが、もっと単純に「シンプル」と捉える方が妥当かもしれない。
万物は変化窮まり無きものだが(変易)、そこには絶対的な動かざる存在がある(不易)。
そして、その在り方は必ず純一無雑な様相を呈するのである。
動静ありて渾然と一致して存在するもの、これは「生命」そのものの姿である。
本来の生というものは余計なものなどは何もない。
純粋に生き、成長し、そして死んで逝く。
己を育し他をも育す、大自然の偉大なる姿、これは「シンプル」そのままなのである。
だから老荘思想では無為自然を説き、仏教には涅槃寂静の教えがあるのであろう。
(2009.05.02記)
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