先頭が「あ」の語彙の意味と読み方
晏嬰
中国春秋時代の政治家。
晏子とも尊称される。
斉に仕え、景公の代では宰相としてその隆盛を担った。
社稷の臣であることを第一とし、誰に憚ることなく諫言を行なった。
その私心のない姿は斉の民衆から絶大な人気を誇ったとされる。
史記おいて司馬遷は「晏子の御者になりたい」とまで語り、孔子は「晏平仲、善く人と交わる。久しうして人これを敬す(晏平仲の人との交わり方は素晴らしい。交友した人々は皆、いつのまにか晏嬰を敬し親しむようになる)」と評す。
羊頭狗肉の語源とされる「牛首を懸けて馬肉を売る」は晏嬰の故事。
晏子の言行録として「晏子春秋」がある。
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エピソード
梁丘拠に「晏子、あなたは霊公、荘公、景公の三代に仕えている。この三君は心が同じわけではない。それなのにあなたは三君に順う。仁人というのはもともと心が多いのだろうか」と皮肉を言われ、晏子は「愛を尽せばどんなに多くの民と共に居れる。強暴不忠であっては一人とも一緒にはいられない」と答えた。これを伝え聞いた孔子は「晏子は一心以て百君に事うる者なり」と評した。
梁丘拠に「わたしは一生あなたには及ばぬでしょう」と言われた晏嬰は「わたしには他の人と大きく違うことなどはありません。ただ、常に為して常に行くことを続けただけなのです。及ばないと思われたのでしたら、ただそれだけのことでしょう」と答えた。
景公が晏子の功績に報いて領地を与えようとした。晏子は「国はそれほど大とはならず、民の生活も潤っているとは言えません。これは宰相たる私の不徳の致すところです。そのような私が受け取ることはできません」と断った。景公はそれでも許さずに領地を与えたが、晏子は他日に折をみて領地を返上した。
景公の愛娘は晏子に嫁ぎたいと願っていた。ある時、景公が酒宴中に晏子の妻を見て「ずいぶん老けてしまっておる。わしの娘は若くて器量が好い。どうだ貰わないか」と聞いた。すると晏子は「今は老けましたが、若くて器量の好い頃もあったのです。人間は最初にこういう風になる後々のことまで約束いたします。わたしも一度約束した以上はそむくわけにはまいりません」と断った。
ある時、景公が晏子に「お前の望むことは何かあるか」と聞いた。晏子は「臣として畏敬され、妻からは頼られ、後を心配なく嗣がせられる子が欲しいものです」と答えた。景公が「もっと願いはないか」と問うと「明君と賢妻に加えて衣食足りて良き友があれば好いですな」と答えた。景公が満足して去ろうとすると、更に晏子はこう述べた。「一番の願いは、世話のかかる君に、家から追い出したくなるような妻、そして不肖の子が居ることです」と。この答えに景公は大いに満足したという。
ある寒い日、景公が晏子に「温かい食べ物を持ってきてはくれないか」と言うと、晏子は「臣の役目ではございません」と断った。
景公が「衣服を持ってきてはくれまいか」と頼んでも、晏子は「臣の役目ではございません」と断った。
景公が「それではお前は何の臣なのか」と聞くと、晏子は「私は社稷の臣です。国家を立ててその根本を明らかにし民を安んずることが役目です」と答えた。
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