エピクテトス
提要[51]
哲学の第一で最重要の部分は処世の道を含める部分である。
例えば「汝は偽る可からず」という如くである。
第二の部分は之が証明を含む部分である。
例えば「何故に人は偽ってはならぬか」と究むる如くである。
第三の部分は前両者の確認説明である。
例えば何故に之が証明となるか、一般に証明とは如何なるものであるか、推論とは如何、矛盾とは如何、真正の判断とは如何、虚偽の判断とは如何といふ如くである。
是れ故に第三の部分は第二の部分の為に存在し、第二は第一の為に存在するのである。
最も必要であって全体の枢軸となって居るのは第一の部分である。
然るに吾人は之を顛倒して居る。
吾人は第三のものに止まり、凡て吾人が熱心を之に費やして居る。
而して、第一を全く等閑に付して居る。
是であるから、吾人は偽ってはならぬという証明を常に手近に有しながら、吾人が偽ることが生ずるのである。
現代語訳・抄訳
哲学において最も重要な部分は実際生活における道理を含む部分である。
たとえば“偽ってはならない”というような事である。
第二の部分はこれの証明を含む部分である。
たとえば“どうして人は偽ってはならぬのか”を考究するが如きことである。
第三の部分は先の両者の確認と説明である。
たとえばどうしてこれが証明となるのか、一般に証明とは何なのか、推理とは何か、矛盾とは何か、真とは何か、偽とは何か、といったことである。
したがって、第三の部分は第二の部分の為に存在し、第二の部分は第一の部分の為に存在するのである。
故に最も重要なる根幹は第一の部分である。
然るに多くの人はこれを本末転倒している。
我等は第三の部分にばかり心を寄せて、あらゆる熱心を費やしている。
そして第一の部分には少しも心を寄せない。
このようであるから、人々は偽ってはならぬという証明を手近に有していながら、偽ることが生じるのである。
- 出典・参考・引用
- カ-ル・ヒルティ著・平田元吉訳「幸福」62/190,エピクテ-ト著・斎木仙酔(延次郎)訳「修養訓」57/105
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