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范曄

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後漢書-列傳[班梁列傳][22]

初め、を徴せられ、戊己校尉ぼきこうい任尚を以て都護と為す。
超と交代す。
尚、超に謂ひて曰く、
君侯は外国に三十余年在り、而して小人みだりに君の後を承す、任は重にして慮は浅し、宜しく以て之におしへ有るべし、と。
超曰く、
年は老い智は失ふ、君は任を数し大位に当る、豈に班超の能く及ぶ所とならんや。
必するもむを得ずして、愚言を進みて願ふ。
塞外さいがいの吏士、本は孝子順孫こうしじゅんそんに非ず、皆な罪の過ぐるを以て補されてうつり辺に屯す。
而して蛮夷ばんいは鳥獣の心をいだき、養ふは難くして敗るは易し。
今、君が性は厳急なり、水清ければ大魚無く、政あきらかなれば下の和するを得ず。
宜しく蕩佚簡易にして、寛小を過ぎ、総て大綱なるのみ、と。
超の去りて後、尚、ひそかに親なる所に謂ひて曰く、
おもへらく班君まさに奇策有るべしと、今言ふ所は平平たるのみ、と。
尚、数年至り、而して西域反乱す、以て罪を徴せらる、超の戒むる所の如し。

現代語訳・抄訳

西域を長らく治めていた班超が老齢を理由に帰都を願い出ていた。
そこで帝は班超の願いを聞き入れ、戊己校尉である任尚を後任の都護とした。
班超と交代することになり、任尚が班超に問う。
あなたは三十余年もの間、この国外の地に留まってこの地を治めておりました。
今回、浅はかにも私が後任としてあたることになりましたが、その責任はあまりにも重く、どのように治めてゆけば良いのか考えの及ぶところではありません。
どうか私にこの地を治める心得を教えて頂けないでしょうか、と。
これに対して班超が云う。
私は老齢でして既に考えも回らなくなっております。
あなたには多くの経験もあるので、私が教えられることなど大したことではないかもしれません。
ただ、強いて申し上げてみますと、愚言ではありますがお願いがございます。
そもそも、この地の役人達は本々は孝行者というわけでも従順であるというわけでもありません。
皆、罪を犯してこの地へと流された者ばかりです。
また、この地にもともと住んでいる土民は鳥獣のように自由気ままですから、その心を捉えることは難しく、掴んだと思ってもすぐに離れていってしまいます。
私が思いますに、あなたの性質は厳しく急すぎます。
水があまりにも清らかであれば大魚が棲むことはなく、政治が察らかであり過ぎれば下々の者は汲々としてしまい安らかに居れません。
ですから蕩佚簡易を旨として寛に過ぎず小に過ぎず、何事も要点のみを締めてその他は寛容をもって事にあたるのが良いのではないかと思います、と。
班超が去ると、任尚は親しい者に語って云った。
私は班超殿に何か特別な策でもあるのではないかと思っていたが、今聞いてみればなんら特別でもない、当たり前の平凡なものであった、と。
任尚が都護となると数年にして西域に反乱が起り、その咎で任尚は罪を負った。
班超が戒めた通りとなったのである。

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出典
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語句解説

班超(はんちょう)
班超。後漢の名将。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の言葉を発して多勢の匈奴を奇襲し勝利を得、西域にて諸国を服従。西域都護として勢力を保った。
塞外(さいがい)
とりでの外、国境の外。
孝子順孫(こうしじゅんそん)
孝子は親孝行な者、順孫は祖父母に尽くす孫。
徙(し)
うつる。場所をかえる、ずれて動いていくこと。
蛮夷(ばんい)
未開の人々。
大綱(たいこう)
根本。重要な要点。
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