司馬遷
史記-本紀[項羽本紀][42]
是に於いて項王乃ち東に烏江を渡らんと欲す。
烏江の亭長、船を
項王に謂ひて曰く、
江東小なりと雖も、地方千里、衆数十万人、また王に足るなり。
願はくば大王急ぎ渡れ。
今独り臣のみ船有り。
漢軍至るも以て渡る無し、と。
項王笑ひて曰く、
天の我を亡す、我何ぞ渡るを為さん。
且つ籍、
今一人還る無し。
縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧じざらんや、と。
乃ち亭長に謂ひて曰く、
吾れ公の長者なるを知る。
吾れ此の馬に騎して五歳、当る所敵無し。
嘗て一日千里を行く。
之れを殺すに忍びず。
以て公に賜はん、と。
乃ち騎より皆な下馬して歩行せしめ、
独り籍の殺す所、漢軍数百人。
項王の身また十余創を被る。
顧みて漢の騎司馬
馬童之に面し、指して
此れ項王なり、と。
項王乃ち曰く、
吾れ漢の我が頭を千金、邑万戸に
吾れ若じの為に徳せん、と。
乃ち自刎して死す。
最も其の後、郎中騎
五人共に其の體を会するに、皆な是なり。
故に其の地を分つて五と為し、
現代語訳・抄訳
ここにおいて項羽は東の烏江を渡らんと欲した。
烏江の亭長が船を用意して待っていた。
亭長が項羽に云った。
江東の地は小なりとも、地は方千里、民は数十万を下らず、王として再び起つに足らぬものではありません。
願わくば大王よ、急ぎお渡りください。
今、船を持つは私一人です。
漢軍がここに至るとも渡ることはできません、と。
項羽は笑って云った。
天が我を亡ぼさんとするに、我がどうして渡ろうか。
かつて我は江東の子弟八千人と共に烏江を渡りこの地へと至った。
然るに今は誰一人として戻る者はいない。
たとえ江東の父兄が我を憐れみ、そして我を王と認めたとしても、何の面目があって彼らに見えることが出来ようか。
たとえ彼らが言わずとも、私はただ、心に愧じるばかりである、と。
そして亭長に云った。
あなたは長者である。
私はこの馬に騎して五年、当る所敵無しであった。
かつて一日に千里を走った。
これを殺すには忍びない。
故にあなたに差し上げよう、と。
項羽は皆を下馬して歩行させ、刀剣でもって白兵戦を展開した。
項羽の殺すところ漢軍数百人、項羽もまた体中に傷を負った。
顧みると漢の騎司馬である呂馬童が居た。
項羽は云った。
お前は我が旧知ではないか、と。
馬童は項羽を見ると、指差して王翳に云った。
これ項王なり、と。
項羽は云った。
我が首で千金と邑万戸が得られると聞く。
お前の為に我が首を差し上げよう、と。
そして自ら首を刎ねて死んだ。
最後に郎中騎の
相会すにいずれも項王の体の一部であった。
故に恩賞の地を分けて五とし、
- 出典・参考・引用
- 秋山四郎著「項羽」70-71/77
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