范曄
後漢書-列傳[荀韓鍾陳列傳][42-43]
司空
復た再び遷りて太丘の長に除せらる。
徳を修めて清静たり、百姓以て安んず。
隣県の
司官、部を
吏に訟する者を慮る者有り、
寔曰く、
訟は以て
其の拘る所有る勿れ、と。
司官、聞きて歎息して曰く、
陳君の言ふ所
亦た
沛の相、
後に党人の逮捕に及び、事亦た寔に連す。
余人、多く逃避して免れんことを求む、寔曰く、
吾れ獄に就かざれば、衆、恃む所無し、と。
乃ち請ひて
赦に遇ひて出るを得。
靈帝の初め、大将軍
時に中常侍
讓が父死す、潁川に帰して
後に復た党人を誅するに及び、讓、寔が
現代語訳・抄訳
司空であった
後に太丘県の長官に任じられた。
陳寔は徳を修めて清静、故に太丘県の百姓は誰もが安んずるを得た。
その様子に隣県の民で移り住む者が続出し、陳寔はこれを教導し諭して各々の故郷へと帰らせた。
ある時、監察官が各部を巡視した。
訴え出る者の現われることを心配した官吏が、訴えを禁止するように進言した。
これに陳寔が云った。
訴える者は直きを求めるからこそ訴えるのである。
それを禁ずるとは如何なる了見であろうか。
そのようなことに拘る必要はない、と。
これを伝え聞いた監察官は歎息して云った。
陳寔殿の斯様なあり方なれば、どうして人々に怨みなど生じようか、と。
結局、訴え出る者は現われなかった。
しばらくして上役である沛国の相が税の取立てで不正をしたので、陳寔は自ら辞表を提出して官を去った。
官吏達は陳寔の居た頃を思い出し、その度に歎息して思いを馳せた。
後に第一次党錮の禁が発生し、陳寔はこれに連座した。
周りの人々は逃亡を勧めたが、陳寔は云った。
既に名が挙がっている私が投獄されねば、民衆は何を信じてよいのかわからなくなってしまうであろう、と。
そして自ら出向いて囚われた。
しばらくすると大赦によって釈放された。
霊帝の代となり、大将軍の
この頃、中常侍の
張讓の父親が死んだ。
張讓は故郷の潁川に帰って葬式を催したが、潁川の名士は誰も出なかった。
張讓は面目を失い、これを恥とした。
そこに陳寔が独り現われ、弔いをした。
後に第二次党錮の禁が発生して清流派の党人の多くが処罰されたが、張讓は陳寔が弔いに来てくれた事に感謝し、多くの者が生命までは奪われずに済んだという。
- 出典・参考・引用
- 長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1158-1159
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
語句解説
- 司空(しくう)
- 土地、民事を司る官名。また、周代六卿の一つ、後漢以後、隋・唐の三公の一つ。
- 理劇(りげき)
- 劇を理むる。煩雑な職務に堪える者、またそのような職務、才能。劇には「はげしい」「はなはだしい」という意がある。
- 聞喜(ぶんき)
- 県名。山西省にある聞喜のこと。
- 旬月(じゅんげつ)
- 十日から一ヶ月。転じてわずかな時間。また、十ヶ月を指す場合もある。
- 人戸(じんこ)
- 民戸。人家、人民。
- 帰付(きふ)
- 懐いて付き従うこと。服従すること。
- 訓導(くんどう)
- 教え導くこと。また、教導する先生を指す場合もある。
- 主司(しゅし)
- 取締りをする役。主司の官で「司官(取り締まりをする官職)」。
- 賦斂(ふれん)
- 租税を課してとりたてること。また、無理に税をとりたてることにも用いる。
- 党事(とうじ)
- 党錮の禁。宦官勢力に批判的な士大夫達が弾圧された事件のこと。166年と169年の2回発生。清流派と称して徒党を組んだ士大夫の一部が宦官等を批判し対立した。
- 余人(よじん)
- 他の人。それ以外の人。
- 竇武(とうぶ)
- 竇武。後漢の霊帝のときに大将軍となる。名宦官の専横を憎んで排除を謀るも失敗し自殺。清廉の名あり。
- 掾属(えんぞく)
- 属官。下級の役人。掾史。
- 全宥(ぜんゆう)
- 罪人の生命を助けてその罪を許すこと。
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |