范曄
後漢書-列傳[荀韓鍾陳列傳][40-41]
児童
而して有志好学、
県令の
後の令、復た召して吏と為す、乃ち避けて陽城の山中に隠る。
時に殺人する者有り、同県の楊吏以て寔を疑ふ、県、遂に
遠近の聞く者、
家貧たり、復た郡の西門の
時に中常侍の侯覽、太守の高倫に託して吏を用ひしむ、倫、教して署さしめ、文学の
寔、其の人に非ざるを知り、檄を懐きて見を請ふ。
言ひて曰く、
此の人は宜しく用ふべからず、而して侯常侍には違ふ可からず。
寔乞ふ、外に
倫、之に従ふ。
是に於いて郷論、其の非挙を怪しむ、寔、終に言ふ所無し。
倫、後に徴を被りて尚書と為る、郡中の士大夫、送りて輪氏の伝舎に至る。
倫、
吾れ
此れを聞く議者、此れを以て之を少とす、此の咎は故人の
陳君をや謂う可し、善には則ち君を称し、過には則ち己と称す者なり、と。
寔、
現代語訳・抄訳
身寄りはなかったが、幼少の戯れ遊ぶ頃から仲間達に慕われていた。
若くして県吏となり、常に雑務に給事し、後に都亭の刺史の下役となった。
陳寔は志有りて学を好み、常に経書をそらんじていた。
そこで県令であった
時が経ち、後任の県令が再び召して吏に用いようとしたが、陳寔はこれを避けて陽城の山中に隠遁した。
この頃、殺人が起こり同県の楊吏によって陳寔は嫌疑をかけられた。
捕まった陳寔は獄に入れられて取調べを受けたが、結局無実となって釈放された。
後に
これを伝え聞いた人々は陳寔の寛大さに歎服した。
陳寔の家は貧しかった。
陳寔は郡の西門の
ある時、中常侍の侯覧が太守の高倫にある人を吏として用いるように
そこで高倫は文学の属官にするように推薦状を書き、書史を司る職にあった陳寔に通達した。
挙げられた人物が官吏として相応しくないことを知った陳寔は、密かに推薦状を持って高倫に謁見した。
陳寔は云った。
挙用せんとしている人は用いるべき人物ではありませんが、中常侍である侯覧殿の意向は蔑ろにできないものがあります。
ですから私よりお願いが御座います。
この推薦は太守自らではなく、実務を担当する私からのものとさせて頂きたいのです。
さすれば、明徳を汚すまでには至らないでありましょう、と。
高倫は陳寔の言に従った。
この推薦に郷里の人々は不正ではないかと怪しんだが、陳寔が弁解することはなかった。
高倫は後に尚書に昇進し、郡中の士大夫はその見送りで輪氏の宿舎まで従った。
高倫は人々に語って云った。
私は以前、中常侍の侯覧のためにある人を吏に挙げんとしたが、陳寔は密かにそれを持ち帰り、自らの推薦ということにして開示した。
これを見た論客達は、この出来事を以て陳寔を
陳寔こそ「善なればその功を主君に奉じ、過なればその咎を自ら負う」というべき者であろう、と。
陳寔はかたくなに自分の罪だとしたが、これを伝え聞いた者は誰もがそのあり方に歎息し、天下はその徳に服したという。
- 出典・参考・引用
- 長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1158
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語句解説
- 単微(たんび)
- 孤弱。幼くして親を失った人。
- 戯弄(ぎろう)
- 戯れからかうこと。
- 等類(とうるい)
- ともがら、同じ身分の仲間。
- 廝役(しえき)
- 雑役、めしつかい。
- 坐立(ざりつ)
- 起居。
- 誦読(しょうどく)
- そらんずる。書物などを声に出してすらすらとよむ。
- 太学(たいがく)
- 大学。首都に設けられた政府直属の学校の名前。官吏養成のために、前漢の武帝の時に始まった。
- 逮繫(たいけい)
- 獄につながれること。
- 考掠(こうりょう)
- 糾問すること。うちすえて罪状を問いつめること。
- 督郵(とくゆう)
- 官名。郡の長官の補佐役で、所属の各県を巡視して監視する職。
- 亭長(ていちょう)
- 宿場の長。宿駅の管理と警備を司る。
- 功曹(こうそう)
- 郡の属官で書史を司る。漢代の官名。
- 尚書(しょうしょ)
- 中国の官名。当初は文書を司る職であったが、後に中央政府の中枢機関となる。尚、書経の別名も「尚書」と書く。
- 輪氏(りんし)
- 県の名前で潁川郡に属する。高陽県とも。
- 伝舎(でんしゃ)
- 宿舎。
- 強禦(きょうぎょ)
- 横暴で権力のある者。強くて善を受け入れない横暴な者。
- 畏憚(いたん)
- 恐れ憚ること。
- 請託(せいたく)
- 内々で私事を頼むこと。私的な関係を頼りに特別なはからいを求めること。
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