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范曄

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後漢書-列傳[黨錮列傳][19]

再び遷し、復た司隸校尉を拝す。
時に張讓が弟のさく、野王の令と為り、貪残たんざんにして無道、乃ち孕婦ようふを殺すに至る。
ようが威厳のはげしきを聞きて、罪を懼れて京師けいしに逃げ還り、因りて兄の讓が弟舎だいしゃのがれて、合柱の中にかくる。
膺、その状を知り、もつて吏卒をひきひて柱を破り朔を取り、洛陽の獄に付す。
辞を受けおはりて、即ち之を殺す。
讓、えんを帝にうつたふ、膺を詔し殿に入れしむ、御はみづから軒に臨み、とがむに先請せずして便すなは誅辟ちゅうへきを加ふるの意を以てす。
膺、対へて曰く、
昔、晋の文公は衛の成公を執りて京師におくれり、春秋とす。
禮に云ふ、公族に罪有り、之をゆるせと曰ふと雖も、有司ゆうしは憲を執りて従はずと。
昔、仲尼は魯の司寇しこうと為り、七日にして少正卯しょうせいぼうを誅せり。
今、臣は官に到りてすで一旬いちじゅんを積む、ひそかに懼るは稽留けいりゅうを以てつみと為らんことなるに、おもはずして速疾の罪を獲たり。
誠に自ずから釁責きんせきし、死して旋踵せんしょうせざるを知る、だ乞ふ、五日を留め、こくして元悪げんあくほろぼし、退きて鼎鑊ていかくに就く、始生の願ひなり、と。
帝、復た言無く、顧みて讓に謂ひて曰く、
此れ汝が弟の罪なり、司隸に何のあやまちかあらん、と。
乃ち之をゆるして出づ。
此れにりてもろもろ黄門常侍じょうじ、皆な鞠躬きっきゅう屏気へいきし、休沐きゅうもくするも敢へて復た宮省きゅうしょうを出でず。
帝、怪しみて其の故を問ふ、並びに叩頭こうとうなみだして曰く、
李校尉を畏る、と。

現代語訳・抄訳

李膺は再び官職を遷され、復た司隸校尉として犯罪を取り締まることになった。
この頃、権勢を誇っていた張讓の弟である張朔が野王の県令となった。
張朔の性情は欲深く無道であり、やがて妊婦を殺した。
罪を犯した張朔は、李膺が公明正大を以て世に聞こえ、罪を決して許さないことを知ると、これを恐れて都へ逃げ帰り、兄である張讓の邸宅に遁れて柱の中に隠れた。
李膺は張朔の罪状を知ると、すぐさま部下を率いて張讓の邸宅に入り、柱を壊して張朔を捕らえ、洛陽の獄に下した。
そして取り調べを終えるとすぐに張朔を殺してしまった。
これを不満に思った張讓が冤罪であると帝に訴えたので、帝は李膺を召し出し、自ら前に出て「先に許しを得ずしてさっさと罰した」旨を理由に詰問した。
李膺が答えて云った。
昔、晋の文公は衛の成公を捕らえて周の都へと送り幽閉しましたが、春秋はこれを是としました。
また、礼記には「公族に罪有りて君がこれを許せと命ずるも、刑罰を司る者は憲規に則って実行し従わない」と記されております。
昔、孔子は魯の司寇となって刑罰を司りましたが、就いて七日にして少正卯を誅殺しました。
今、私はこの職に就きて既に十日を経ております。
ひそかに恐れていたことは、刑が滞り迅速に行われずして罪に問われることでしたのに、意に反して迅速に刑を執行したとして罪を獲ました。
誠に自らの及ばざるを責め、死して戻らぬ気持ちを覚えます。
ただ、願わくば五日の猶予を頂きたいのです。
さすれば速やかに大悪人を根絶やしにし、その後に如何なる刑にでも服しましょう。
これこそが、私の一番の願いなのです、と。
これを聞いた帝に返す言葉も無く、張讓の方を顧みて云った。
これはお前の弟の罪であろう。
司隸校尉に何の過ちがあろうか、と。
そうして李膺は許された。
この後、諸々の宦官達は息をこらして身をひそめるようになり、休日に外出することもなくなった。
その様子を怪しんだ帝は理由を問うた。
宦官達は深く敬礼し涙を流しながら云った。
司隸校尉の李膺殿が恐ろしいのです、と。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1219
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語句解説

貪残(たんざん)
欲が深くてむごいこと。貪虐、貪酷。
孕婦(ようふ)
妊娠している女。妊婦のこと。
京師(けいし)
都、天子の居。春秋公羊伝の桓九年に「京師とは天子の居である。京とは大、師とは衆、天子の居は必ず衆大の辞を以てこれを言う」とある。
弟舎(だいしゃ)
屋敷の意。第舎、邸宅。
誅辟(ちゅうへき)
誅罰のこと。
成公(衛)(せいこう(えい))
成公(衛)。亡命先から衛に戻った時に誤って弟の叔武を殺してしまったことで争訟となり、晋がこの裁きを求められた。成公は訴訟に敗れ、晋の文公は幽閉して周へと送ったとされる。後に晋の文公は毒殺を企てるが失敗し、周の襄王のとりなしもあって成公は釈放された。
有司(ゆうし)
役人・官吏のこと。
司寇(しこう)
刑罰・警察の事を司った周代の官名。六卿(冢宰・司徒・宗伯・司馬・司寇・司空)の一つ。また、五官(司徒・司馬・司寇・司空・司士)の一つという記述もある。
少正卯(しょうせいぼう)
少正卯。魯の聞人(世間に名声が知れ渡った人)。荀子の宥坐篇に孔子が少正卯を誅した理由として「人に悪とする者五有り、心は険に達し、行は堅に辟し、言は弁に偽り、記は博に醜し、順は澤に非す、この五者の一あらば君子は之を誅す。少正卯はこれを兼有す」と記され、「小人の桀雄」と評されている。
一旬(いちじゅん)
十日間。旬日。
稽留(けいりゅう)
滞る、留まる。稽遅、稽停、滞留。
釁責(きんせき)
あやまちを責める。
旋踵(せんしょう)
踵を旋らす。かかとの向きをかえることで、その場から引き下がるの意。転じて短い時間を例える。
元悪(げんあく)
大悪人。元凶。
鼎鑊(ていかく)
釜いりの刑のこと。
黄門(こうもん)
宮城の門(宮中の小門は黄色であった)。また、黄門の役人に宦官を用いたことから「宦官」の意に用いることもある。
常侍(じょうじ)
側用人。天子の側について用をつとめる者。
鞠躬(きっきゅう)
身をかがめてうやまいつつしむこと。鞠窮。
屏気(へいき)
息を屏ず。息をこらしておそれ慎むこと。
休沐(きゅうもく)
官吏の休暇。「沐」は髪を洗うの意で、漢は五日、唐は十日ごとに一日与えられ、家に帰って沐浴したことから。
宮省(きゅうしょう)
宮城の中、宮中のこと。また、宮中にある役所(尚書省、中書省など)を指す。
叩頭(こうとう)
額が地面につけて敬礼する。頭が地につくほどに深くお辞儀をすること。叩首。
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