王陽明
伝習録-伝習録上[116]
因りて論ず、
先生の門、某人は涵養上に在りて功を用ひ、某人は識見上に在りて功を用ふ、と。
先生曰く、
涵養を専らとせし者、日に其の足らざるを見る。
識見を専らとせし者、日に其の余り有るを見る。
日に足らざる者は日に余り有り、日に余り有る者は日に足らず、と。
現代語訳・抄訳
議論に曰く、
先生の門人に於いて、ある人は涵養上に在りて工夫を用い、ある人は識見上に在りて工夫を用いる、と。
王陽明は云った、
涵養を専らとする者は、日に自らの足らぬところを見るであろう。
識見を専らとする者は、日に自らの余りあるを見るであろう。
だが本当は、日に足らぬとする者こそが日に余り有り、日に余り有りとする者こそが日に足らぬのである、と。
- 出典・参考・引用
- 東正堂述「伝習録講義」(一)160-161/189
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