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范曄

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後漢書-列傳[郭符許列傳][8]

孟敏、字は叔達、鉅鹿の楊氏の人なり。
客して太原に居る。
そうになひて地にす、かへりみずして去る。
林宗、見て其の意を問ふ。
対へて曰く、
そうは以て破る、之を視るに何の益かあらん、と。
林宗、此れを以て之を異とし、因りて勧めて遊学せしむ。
十年にして名を知れたり、三公、倶にへいす、並びに屈せずと云ふ。

現代語訳・抄訳

孟敏は字を叔達といい、鉅鹿の楊氏の人であった。
在野にあって太原に住んでいた。
ある時、孟敏はかついで運んでいた炊器を地面に落として割ったが、少しも気にする様子もなく平然と行ってしまった。
その様子を見ていた郭林宗は、不思議に思ってその意を尋ねた。
すると孟敏が答えて云った。
割れたものを顧みたとて、何の益もないではないか、と。
郭林宗はその答えに孟敏の異才なるを感じ、学問するように勧めて遊学させた。
十年が経ち、孟敏はその名を轟かす程になった。
その令名に時の実力者達はこぞって家臣にしようと試みたが、孟敏が応じることはなかったという。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1233-1244
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語句解説

甑(そう)
こしき。蒸気で穀物をむす器具のこと。蒸籠、炊器。
三公(さんこう)
臣下の最高の三つの官職で周では「太師」「太傅」「太保」、前漢で「丞相(大司徒)」「太尉(大司馬)」「御史大夫(大司空)」、後漢で「太尉」「司徒」「司空」をいう。
辟(へい)
召す。仕える。招聘する。また、「つみ(刑罰)」の意に用いられることもある。
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