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吉田松陰遺著[哭無逸心死]

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原文

古語曰。惨莫惨於心死。蓋身死而心不死者。古聖賢之徒。不朽之人也。身不死而心死者。今鄙夫之流。行屍之人也。世人以身死生為大小大事。而不知心之死生関係萬世。其大小更大。亦安知吾哭無逸之哀痛哉。嘱無窮無咎。代余焚好香一抹。率村塾諸生。往哭送無逸。至痛至恨。
無逸奇才覯所希。
膏梁仁義久困饑。
人間莫惨如心死。
今日為而双涙揮。

書き下し文

古語に曰く、
さん心死しんしより惨なるは莫し、と。
蓋し身死して心死せざる者は、古聖賢こせいけんの徒、不朽の人なり。
身死せずして心死す者は、今の鄙夫ひふりゅう行屍こうしの人なり。
世の人、身の死生を以て大小の大事と為し、而して心の死生は万世に関係し、其の大小は更に大なるを知らず。
亦たいづくんぞ知らん、吾が無逸むいつを哭するの哀痛をや。
無窮むきゅう無咎むきゅうしょくし、余に代はって好香こうこう一抹いちまつを焚き、村塾の諸生を率ひて、往きて無逸を哭送こくそうせしむ。
至痛しつう至恨しこん
無逸の奇才、観るにまれなる所。
膏粱こうりょうに仁義久しく困饑こんきす。
人間惨は心死に如くは莫し。
今日なんじが為に双涙そうるいふるはん。

現代語訳・抄訳

古語に言う。
さん心死しんしより惨なるは莫し、と。
思うに身死して心死せざる者は、古の聖賢であり、これを不朽の人という。
身死せずして心死せる者は、今の鄙夫ひふの類いであり、これを生きる屍という。
世の人々は身の死生ばかりを重んじて大事とするが、心の死生ほど万世に関係して最も大事なるを知らない。
だからどうして知ろう、吾が無逸を哭するの哀痛を。
故に無窮と無咎の二人に頼んで、私に代わって好香こうこう*1を少し焚き、塾生を率いて無逸を哭送させるのである。
痛恨の至りかな、痛恨の至りかな。
無逸の奇才は観るに希なり、食を得るため仁義久しく困窮す。
人間、惨たること心死にすぎたるはなし、今日、汝がために涙を流さん。

出典・参考・引用
足立栗園編「吉田松陰修養訓」211/234
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吉田松陰
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備考・解説

無逸は吉田稔麿の字。
稔麿に対する松陰の期待は高く、彼が松下村塾を離れることを嘆いてこの手紙を送ったという。
松蔭の死後、稔麿は倒幕運動の中に身を投じ、池田屋事件で24歳の生涯を閉じた。
なお、稔麿が離れたのは家計を支える必要があったためとされる。
また、松蔭はこの手紙を送った後に謝罪の手紙を送っている。

語句解説

鄙夫(ひふ)
愚夫。小人。心が狭くいやしい人。
吉田稔麿(よしだとしまろ)
吉田稔麿。幕末の志士。吉田松陰門下で松門四天王の一人。また、無逸の字から無窮と無咎と共に「三無生」とも称される。池田屋事件で討ち死に。享年24。
膏粱(こうりょう)
脂ののった肉と味のよい飯のことでご馳走を意味する。
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  • *1廟祭などでは芳香を第一に供える。これに近いか?


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