史記-本紀[秦始皇本紀][57]
原文
三年。章邯等。將其卒圍鉅鹿。楚上將軍項羽。將楚卒。往救鉅鹿。冬趙高為丞相。竟案李斯殺之。夏章邯等戰數却。二世使人讓邯。邯恐使長史欣請事。趙高弗見。又弗信。欣恐亡去。高使人捕追不及。欣見邯曰。趙高用事於中。將軍有功亦誅。無功亦誅。項羽急撃秦軍虜王離。邯等遂以兵降諸侯。八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
書き下し文
三年、
楚の
冬、
夏、
趙高、
高、人をして
趙高、事を
将軍、功有るも誅せられ、功無きも亦た誅せられん、と。
項羽、急に秦軍を撃ち、
八月
乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、
馬なり、と。
二世笑ひて曰く、
丞相誤れるか。
鹿を謂ひて馬と為す、と。
左右に問ふ。
左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に
或ひは鹿と言ふ、高因りて
後、群臣皆な高を畏る。
現代語訳・抄訳
二世皇帝の三年、章邯等は兵を率いて
楚の上将軍である項羽は楚の兵を率いて救援に向かい、これを撃破した。
冬、趙高は丞相と為り、ついに李斯を謀殺した。
夏、章邯等は項羽と戦闘して度々敗れた。
二世皇帝は人を遣わして章邯を非難した。
章邯は恐れ、長史の司馬欣を使者にして事情を訴えようとした。
趙高は司馬欣に会うことなく、また信じることもなかった。
司馬欣は趙高を恐れて逃亡した。
趙高は追っ手を差し向けたが及ばず、司馬欣は章邯の元に戻って言った。
趙高は全てを自分の思うがままに執り行っています。
将軍は功を為しても誅殺され、功が無くても誅殺されることになるでしょう、と。
項羽は急進して秦を攻め、
章邯等はついに手勢を率いて降伏した。
八月
群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。
馬です、と。
皇帝は笑って言った。
丞相は何を言っているのだ。
鹿を指して馬と為している、と。
そして左右に尋ねた。
ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。
中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。
これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。
- 出典・参考・引用
- 司馬遷著,塚本哲三編「史記」第1巻146-147/297
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語句解説
- 章邯(しょうかん)
- 章邯。秦末の名将。陳勝・呉広の乱を破竹の勢いで鎮圧し、斜陽の秦を救った。後に秦中枢の腐敗から楚に帰属。秦滅亡後は三秦として雍王(ようおう)に封じられ、漢の侵攻を数ヶ月にわたって防ぐも水攻めにあって自刃した。
- 項羽(こうう)
- 項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
- 趙高(ちょうこう)
- 趙高。秦の宦官。奸臣の代表。権力を得るために多くの功臣を粛清し、恐怖政治を行った。二世皇帝に鹿を献じて馬と為し、自身の権勢を試した故事は有名。
- 李斯(りし)
- 李斯。秦の政治家。秦建国の功臣。荀子に師事し法家として有名。富国強兵を献策し、統一国家樹立後は焚書坑儒による思想統一、文字や度量衡の統一など国家体制の構築に尽力した。後に趙高の姦計によって刑死。司馬遷は「人々は忠を極めて五刑を被り死すというが、その本質を察すれば間違いであろう。本当に忠義の人であったなら、李斯の功は古の周公や召公にすら匹敵するものである」と述べている。
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