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列子-湯問[12]

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原文

伯牙善鼓琴。鐘子期善聽。伯牙鼓琴。志在登高山。鐘子期曰。善哉。巍巍兮若泰山。志在流水。鍾子期曰。善哉。洋洋兮若江河。伯牙所念。鐘子期必得之。伯牙游於泰山之陰。卒逢暴雨。止於巖下心悲。乃援琴而鼓之。初為霖雨之操。更造崩山之音。曲毎奏。鐘子期輒窮其趣。伯牙乃舍琴而嘆曰。善哉善哉。子之聽。夫志想象。猶吾心也。吾於何逃聲哉。

書き下し文

伯牙はくが善くきんし、鍾子期しょうしき善く聴く。
伯牙琴を鼓し、志泰山たいざん登るに在り、鍾子期しょうしき曰く、
善いかな巍巍兮ぎぎことして泰山たいざんの若し、と。
流水りゅうすいに在らば、鍾子期しょうしき曰く、
善いかな、琴を鼓する、洋洋兮ようようことして江河の若し、と。
伯牙のおもふ所、鐘子期必ず之を得。
伯牙、泰山のきたに遊び、ついに暴雨に逢ふ。
巖下がんかに止まりて心悲しみ、乃ち琴をりて之を鼓す。
初め霖雨りんうそうを為し、更に崩山ほうざんの音をす。
曲奏きょくそうする毎に、鐘子期すなはち其の趣きを窮む。
伯牙乃ち琴をきて嘆じて曰く、
善い哉、善い哉、子の聴く。
夫れ志を想像する、猶ほ吾が心のごときなり。
吾れ何に於いて声を逃れんや、と。

現代語訳・抄訳

伯牙は善く琴を奏で、鍾子期は善く聴いた。
伯牙が志を泰山に登るに馳せて奏でると、鍾子期は言った。
善いかな、雄大なる泰山のようだ、と。
志を水の流れに馳せて奏でると、鍾子期は言った。
善いかな、広大なる江河のようだ、と。
伯牙の志を鍾子期は自らのように得たのである。
ある時、伯牙は泰山の北に出かけ、暴雨に出会った。
崖下に止まることになった伯牙は、心悲しんでその想いを琴に託した。
初めに霖雨の操を奏で、次に崩山の音を弾いた。*1
奏でる度に、鐘子期はその趣きを尽くした。
伯牙は琴を置いて嘆じて言った。
善いかな、善いかな、君の聴くことや。
その志を得ること、まるで私の心のようだ。
君の前では何も隠せはしない、と。

出典・参考・引用
塚本哲三編「老子・荘子・列子」399/452
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列子
古典
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語句解説

伯牙(はくが)
伯牙。春秋時代の琴の名手。友人の鐘子期が死ぬと、世の中に琴を鼓するに足る者はいなくなったとして、終生琴を弾かなかったという。
巍巍(ぎぎ)
山の高大偉容なる様。
洋洋(ようよう)
広大な様。満ち溢れる様。
霖雨(りんう)
長雨。何日も降り続く雨。
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  • *1注釈に「霖雨・崩山は共に琴曲の名」とある。


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