礼記-禮運[2]
原文
今大道既隱。天下為家。各親其親。各子其子。貨力為己。大人世及以為禮。城郭溝池以為固。禮義以為紀。以正君臣。以篤父子。以睦兄弟。以和夫婦。以設制度。以立田里。以賢勇知。以功為己。故謀用是作。而兵由此起。禹湯文武成王周公。由此其選也。此六君子者。未有不謹於禮者也。以著其義。以考其信。著有過。刑仁講讓。示民有常。如有不由此者。在埶者去。衆以為殃。是謂小康。
書き下し文
今、大道既に隠れ、天下を家と為す。
以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦まじくし、以て夫婦を和らぎ、以て制度を設け、以て
故に
此の六君子は、未だ禮を謹まざる者は有らざるなり。
以て其の義を
是れを小康と謂ふ。
現代語訳・抄訳
しかし、今や大道は既に廃れ、人君は天下を私して一族で代々継承するようになった。
人々も自らの親を親とし、自らの子を子として他人と区別し、財貨や力を自分のために使うようになった。
地位のある者は、世々に継承していくことを規則とし、城郭や堀などをめぐらすことで国を堅固にし、礼儀を制定して国の秩序を定めた。
このようにして君臣の間を正し、父子の間を篤くし、兄弟の間を睦まじくし、夫婦の間を和らげ、制度を設け、村落を作り、知勇を重んじ、功には賞録を以て報いたのである。
故に謀略の類が盛んとなり、争いが起こるようになった。
この六の君子に、禮を謹まぬ者はいなかった。
禮を以て義を顕わし、信を尽くし、過ちを明らかにし、人情を巡らし、謙譲を勧め、民に常あることを示したのである。
もしこれに由らぬ者があれば如何なる尊位にある者でも退け、民衆もまた災いなる者と認識した。
このような治世を小康と言うのである。
- 出典・参考・引用
- 塚本哲三著「漢文叢書第17」125/360,早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」第26巻271/330,安岡正篤著「人生の大則」231/318
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備考・解説
天下を家と為すとは、子が家を継ぐように、天下国家を私することをいう。
三代の初めである夏の禹の次代から禅譲ではなく、帝位が受け継がれるようになった。
三代の前の尭や舜の治世では、賢者を挙げてこれを実地で試し、確かであることを見定めた後に帝位を譲った記述が見える。
小康は人為であふれるが、人君が世を上手く調和させて、何とか治まっている状態をいう。
その人君の手法は、禮を謹む、ということである。
禮を謹むとは何か。
要は人に関節があって上手く機能するように、世の物事の節目、重要なところを押さえて調和させることである。
それは足らなくても乱れ、過ぎても乱れる。
だから謹むという。
しかし既に人為であるから、少なからず過不足が生じるのは常である。
故に過に傾いていれば足らぬようにし*1、不足に傾いていれば過に致す*2
故に三代の英知を持つ人君が輩出されなければ、その過不足に応じて頽廃していくことになる。
語句解説
- 大人(たいじん)
- 有徳者。また、君主、家長などの代表とする責任者の地位にいる者を指す場合もある。
- 世及(せきゅう)
- 世々に及ぶ。親から子に受け継ぐこと。
- 禹(う)
- 禹。夏王朝の始祖で伝説の聖王。父の業を継いで黄河の治水にあたり、十三年間家の前を通っても入らなかった。後、舜に禅譲されて王となる。
- 湯王(とうおう)
- 湯王。天乙。成湯。殷王朝の始祖。賢臣伊尹を擁して夏の桀を倒した。後世に聖王として称賛される。
- 文王(ぶんおう)
- 文王。周の武王の父で西伯とも呼ばれる。仁政によって多くの諸侯が従い、天下の三分の二を治めたという。
- 武王(ぶおう)
- 武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
- 成王(せいおう)
- 成王。周王朝二代目。開祖の武王の後を継いで即位。周公旦、太公望、召公等を左右に国をまとめ、次代の康王の治世と共に「成康の治」と讃えられた。
- 周公旦(しゅうこうたん)
- 周公旦。周の武王を補佐して殷討伐に寄与。武王死後には摂政となり国家の礎を築いた。
- 埶(げい)
- げい、植える(芸)。いきおい(勢)。もと芸の初文で苗木を植える形。植樹は神事や政事的な意味を持つ行為だったとも。
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- *1晏嬰の喪の如き。
- *2諸葛亮の蜀における刑罰の如き。