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礼記-禮運[1]

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原文

昔者仲尼與於蜡賓。事畢。出游於觀之上。喟然而嘆。仲尼之嘆。蓋嘆魯也。言偃在側曰。君子何嘆。孔子曰。大道之行也。與三代之英。丘未之逮也。而有志焉。大道之行也。天下為公。選賢與能。講信修睦。故人不獨親其親。不獨子其子。使老有所終。壯有所用。幼有所長。矜寡孤獨廢疾者。皆有所養。男有分。女有歸。貨惡其棄於地也。不必藏於己。力惡其不出於身也。不必為己。是故謀閉而不興。盜竊亂賊而不作。故外戸而不閉。是謂大同。

書き下し文

昔者せきしゃ仲尼ちゅうじひんあづかる。
おはり、出でてかんの上に遊び、喟然きぜんとして嘆ず。
仲尼ちゅうじの嘆ずるは、蓋し魯を嘆ずるなり。
言偃げんえん、側に在りて曰く、
君子何をか嘆ず、と。
孔子曰く、
大道の行はれしと、三代えいとは、きゅう、未だ之におよばず、而して志有り。
大道の行はるるや、天下を公と為し、賢を選び能にくみし、信を講じぼくを修む。
故に人は独り其の親を親とせず、独り其の子を子とせず、老は終はる所有り、壮は用いる所有り、ようは長ずる所有り、矜寡かんか・孤独・廃疾はいしつの者をして、皆な養ふ所有らしむ。
男は分有り、女は有り。
は其の地に棄てんことをにくむも、必ずしも己にかくさず、力は其の身に出でざることを悪むも、必ずしも己の為にせず。
是の故にはかりごとは閉ぢて興らず、盗窃とうせつ乱賊らんぞくおこらず。
故に外戸がいこを閉ぢず、是れを大同と謂ふ。

現代語訳・抄訳

ある時、孔子は魯の蜡祭ささいに賓客として招かれた。
祭礼が終わり会場から出ると、門観の上で大きく嘆息した。
孔子は魯に周公の遺風が廃れたことを嘆いたのである。
近くにいた子游しゆうが言った。
先生は何を嘆かれておられるのですか、と。
孔子が言った。
古の大道が行われし治世と、古の三代の英知は余りにも偉大で、私は未だに及ぶことが出来ていない。
志が空回りするばかりの自分を思うと、嘆息せざるを得ないのだ。
大道が行われていた治世では、人君は天下を以て公とした。
賢者を推戴し、才能ある者を抜擢し、信を講究して恥を知り、仲睦まじく円満なるように自らを修めた。
故に人々は自分の親だけを親とはせず、自分の子だけを子とはせず、他人と家族のように接したのである。
老年の者は安心してその生を終え、壮年の者はその才能に従って尽力し、幼年の者は健やかにその成長を遂げ、孤独で身寄りの無い者や障害のある者は誰もが充分にその身を養う所があった。
男は皆な自分の職分を持ち、女は皆な家庭を持つことが出来たのである。
財貨が有効に用いられないことをにくみ、決して私蔵しぞうすることはせず、能力が世に役立たざることをにくみ、決して一身の為に用いることもなかった。
この故に謀略の類は一切なく、窃盗や乱暴といったものも起こらなかった。
故に人々は外の扉を閉めることもなく安心して暮らすに至った。
このような治世を大同と言うのである。

出典・参考・引用
塚本哲三著「漢文叢書第17」125/360,早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」第26巻270/330,安岡正篤著「人生の大則」231/318
関連タグ
礼記
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古典
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備考・解説

人為なくして自然と治まる理想の世の中を述べる。
大同は三代の治世の前、堯舜の治世及びそれ以前をいう。
なお、三代の治世は次章に述べられる小康に当たる。
魯を嘆ずるとは、大同はもとより小康すらも危くなっている今の世を憂い、自分の力のなさを嘆いたものであろう。

語句解説

孔子(こうし)
孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
蜡(さ)
まつり。十二月に鬼神をもとめて祭る。また、ハエの蛆虫の意もある。
喟然(きぜん)
ため息をつく様子。
子游(しゆう)
子游。春秋時代の学者。江蘇呉の人。孔子十哲の一人。文学に優れていたとされる。
三代(さんだい)
中国の古代王朝である夏・殷・周のこと。
矜寡(かんか)
老いて配偶のないもの。妻のいない男と夫のいない女。
廃疾(はいしつ)
不治の障害。体が不自由になる疾病。
外戸(がいこ)
外の扉。
周公旦(しゅうこうたん)
周公旦。周の武王を補佐して殷討伐に寄与。武王死後には摂政となり国家の礎を築いた。
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