礼記-祭義[2-4]
原文
致齊於内。散齊於外。齊之日。思其居處。思其笑語。思其志意。思其所樂。思其所嗜。齊三日。乃見其所為齊者。
祭之日。入室。僾然必有見乎其位。周還出戸。肅然必有聞乎其容聲。出戸而聽。愾然必有聞乎其嘆息之聲。
是故先王之孝也。色不忘乎目。聲不絶乎耳。心志嗜欲不忘乎心。致愛則存。致愨則著。著存不忘乎心。夫安得不敬乎。君子生則敬養。死則敬享。思終身弗辱也。
君子有終身之喪。忌日之謂也。忌日不用。非不祥也。言夫日。志有所至。而不敢盡其私也。
書き下し文
内に
斎すること三日、乃ち其の斎を為す所の者を見る。
祭の日、室に入れば、
是の故に先王の孝たるや、色は目に忘れず、声は耳に絶えず、
君子、生かば則ち
君子に終身の喪有りとは、
忌日に用ひずとは、
現代語訳・抄訳
物忌みは心中をつつしみ、挙措動作をつつしむ。
物忌みするの日、その居処を思い、その笑語を思い、その志意を思い、その楽しむ所を思い、その嗜むところを思う。
物忌みすること三日にして哀心の至り通じて、祖霊の降下を見る。
祭礼の日、廟室に入ればそこにはかつて在りし日の父母の姿あるが如く、廟室を巡ればそこに父母の存在を感じて敬慎し、廟室を出づれば父母の感無量の声を聞く。
この故に古の聖王の孝たるや、その姿は目に忘れず、その声は耳に絶えず、その志の存するところ、その欲するところは心に忘れず、
親の在りし日を思い、親の今を思う、そうであれば、どうして敬せざることがあるだろうか。
君子は生あれば
それはその身を終えるまで、父母の志に
君子に終身の喪ありとは、命日のことをいう。
命日に他の事をしないというのは、不吉だからではない。
その日は父母の志に感じて哀惜
- 出典・参考・引用
- 塚本哲三著「漢文叢書第17」257/360,早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」第27巻191-192/330
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備考・解説
祭礼の心に由ることをいう。
中程で孝が出てきたように、祭礼は孝の形として現れたものに過ぎず、その本質は大いなる流れを受け継いで往くということである。
自らが先祖父母の志を継ぎ、それを自らによって化育し、そして子孫へと繋ぐ。
その連綿たる流れの一部分を担い、その一統たる生命を運ぶ。
故に人はこれを運命と呼ぶ。
語句解説
- 致斉(ちさい)
- 心中をつつしむ物忌み。祭祀の前に清めること。
- 散斉(さんさい)
- 挙措動作をつつしむこと。表面にあらわれる行為をつつしむ物忌み。
- 僾然(あいぜん)
- ほのかに見える様。僾はほのか、人の不安定な心情をいう。
- 周還(しゅうせん)
- 周り還(めぐ)る。めぐる。ふるまい。周と還どちらも「めぐる」意。還は旋に通ず。周旋(しゅうせん)と同意であろう。
- 肅然(しゅくぜん)
- 懼れ慎むこと。肅はきびしい、つつしむ、ひきしまる意。
- 愾然(がいぜん)
- ため息して嘆く様。胸がつまってため息をつくこと。愾はなげく、たかぶる、大息する意。
- 愨(かく)
- つつしむ、まごころ。まじめで飾り気のないこと。中空なる心。
- 敬享(けいきょう)
- つつしみ祀ること。享は先祖をまつる意。
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- *1孝経喪親「生けば事へて愛敬し、死せば事へて哀戚す」
- *2詩経小宛「夙に興き夜に寐ぬ、爾の所生を忝しむること無かれ」