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礼記-祭義[1]

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原文

祭不欲數。數則煩。煩則不敬。祭不欲疏。疏則怠。怠則忘。是故君子合諸天道。春禘秋嘗。霜露既降。君子履之。必有凄愴之心。非其寒之謂也。春雨露既濡。君子履之。必有怵惕之心。如將見之。樂以迎來。哀以送往。故禘有樂而嘗無樂。

書き下し文

さいしばしばするを欲せず、しばしばするは則ちはんなり、はんは則ち不敬ふけいなり。
さいなるを欲せず、疏なるは則ちたいなり、たいは則ち忘る。
是の故に君子はこれを天道に合し、春はていし秋はしょうす。
霜露そうろ既に降る、君子之をまば、必ず凄愴せいそうの心有り、其の寒さの謂ひに非ざるなり。
春、雨露うろ既にうるほふ、君子之をまば、必ず怵惕じゅつてきの心有り、将に之を見んとするが如し。
楽しみ以て来るを迎へ、哀しみ以て往くを送る、故にていには楽有りてしょうには楽無し。

現代語訳・抄訳

祭礼には執り行うべき時節がある。
これを外れて執り行うは煩多であり、煩多なるは祖霊に不敬を致すことになる。*1
祭礼には守るべき規則がある。
規則をゆるがせにするは怠惰であり、怠惰なれば遂には忘れる。
故に君子は祭礼を四時に合わせて制定し、春には禘祭ていさいを定め、秋には嘗祭しょうさいを定めた。
秋に霜露が降れば、君子はこれを踏みしめて必ず心が痛む。
それは決して寒さを感じての故ではない。
春に雨露でうるおえば、君子はこれを踏みしめて必ず敬慎する。
それはまるで先祖父母にまみえるが如きである。
楽しみて来たるを迎え、哀しみて往くを送る、故に禘祭ていさいには音楽があり、嘗祭しょうさいには音楽が無いのである。

出典・参考・引用
塚本哲三著「漢文叢書第17」257/360,早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」第27巻191/330
関連タグ
礼記
戴聖
古典
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備考・解説

春夏秋冬の季節の移り変わりを思えば、春に来て秋に往くはよく分かる。
春は草木萌え出て生育し、秋は実って落葉す。
楽しみて来るを迎えるは万物の生意を見るが故であり、哀しみて往くを送るは万物の無常を感ずるが故である。
それは大自然の営みであり、人もまた自然と一である。
ただし、諸行無常は儚いことではない。
それは連綿と続くということであり、昼夜の巡るが如きである。

来ると往くは、おそらくその時節との感覚に由るものであろう。
祖霊の降下は往来である。
両者でその感覚が異なるのは、要はどちらを強調するか(感じるか)で分かれているのだと思う。

礼記に関する出典・名言・逸話・言説

古典関係

礼記に関する古典の参考

語句解説

凄愴(せいそう)
凄まじくいたましい。心がいたむ。
怵惕(じゅつてき)
おそれ気遣うこと。
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  • *1祭礼は祖宗の御魂が降下するの時。無闇に降下させるは不敬である。


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