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礼記-禮器[1]

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原文

禮器。是故大備。大備。盛德也。禮釋回。增美質。措則正。施則行。其在人也。如竹箭之有筠也。如松柏之有心也。二者居天下之大端矣。故貫四時而不改柯易葉。故君子有禮。則外諧而内無怨。故物無不懷仁。鬼神饗德。

書き下し文

禮はなり、是の故に大に備はる、大に備わるは、盛徳なり。
禮はよこしまて、美質を増し、かば則ち正しく、施さば則ち行はる。
其の人に在るや、竹箭ちくせんうん有るが如きなり、松柏の心有るが如きなり。
二者は天下の大端に居る、故に四時を貫きてえだを改め葉を易へず。
故に君子に禮有らば、則ち外にかなひて内に怨み無く、故に物は仁に懐かざる無く、鬼神は徳をく。

現代語訳・抄訳

禮は器である。
器なれば大いに備わり、大いに備わればその徳盛んなり。
禮は邪僻に遠ざかり、美質を増し、これを身に施せば正しく、これを事に施せば行われる。
禮の人に在るや、竹の青々しきが如くであり、松柏の心有るが如くである。
この二者は天下の大端なりて大節あり、故に春夏秋冬いずれも枝葉繁りて朽ちること無し。
故に君子に禮あれば、外に適い内に怨み無く、物は仁に懐き、鬼神は徳を受けて調和せざる無し。

出典・参考・引用
塚本哲三著「漢文叢書第17」135/360
関連タグ
礼記
戴聖
古典
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備考・解説

器は徳器や器量の如し。
人に備わるところなるが故に器という。
次節に「忠信は禮の本、義理は禮の文」とあるように、禮は本文より自ずから生ずるところであり、故に器に例える。
竹箭と松柏は、四季の移ろいにも動ずることなくあるがままにある姿をいう。
天下の大端は、他の草木が開落を繰り返す中に在って、竹松柏のいくつもの季節も経て後に移ろうこと、即ち長く節を守って在ることをいう。
鬼神は祖霊、この場合は天地の意でも善い。*1
饗は神意を含む。
故に鬼神が徳をけるは、禮を備えて徳盛んになり遂に神意(祖霊)に適うことをいう。
要は天地万物に同じて調和せるが如し。

語句解説

竹箭(ちくせん)
竹の矢、矢の幹。また、篠竹(しのだけ・幹や葉の細かな竹)。箭は太さの揃った竹のこと。矢の通名に用いられる場合がある。
筠(うん)
竹の皮。竹の青皮の美しいこと、うるおい、つや。
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  • *1礼記祭義に「朽ちて地に帰するを鬼といい、上に発揚して普く広がるを神の著はれという」とある(要約)

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