論語-学而[12]
原文
有子曰。禮之用和為貴。先王之道。斯為美。小大由之。有所不行。知和而和。不以禮節之。亦不可行也。
書き下し文
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有子曰く、
禮[1][2][3][4]は之れ和を
小大之に由るも[7]、行はれざる所有り。
和を知りて和すも[8][9]、禮を以て之を節せざれば[10]、亦た行はる可からざるなり[11]、と。[12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24][25][26]
現代語訳・抄訳
礼の要は和であり、先王の道は美なるものである。
治世の要はその先王の道に則ることだが、小事大事これに由ったとしても、上手くいかないことがある。
和を知って和したとしても、礼節存して身を持せざれば、どうして行われることがあるだろうか。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」57-59/600,簡野道明著「論語解義」22-23/358,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」22-23/223
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備考・解説
末流は治迹を知るもその本を知らず、和するを知りて和するもその実を知らず。
外形に止まるが故にその真を得ず。
礼はそのまま和であり、和はそのまま礼である。
人の諸機関が各々その分を守って調和せるが如く、人世も亦た礼節存して自ずから和す。
そこに人為の形跡は無く、ただあるが故にあるだけである。
先王の道を美と為すは善し。
然れども、その所以を知らざれば上辺を追いて失うのみ。
堯の治世に民の曰く、
帝力なんのことかあらん、と。
真の人は智も無く徳も無く功も無く名も無し。
徳化の大なるや、大自然の如きなり。
注釈
- 朱子
- 禮は天理の節文、人事の儀則なり。(朱子)
- 程子
- 天理は自然の理なり。
之を為すこと莫くして為し、之を致すこと莫くして致すは、便ち是れ天理なり。(程子) - 陳氏
- 天理は只だ是れ人事中の理にして、心に
具 はる者なり。
天理は中に在りて事に著 はる、則ち内に在りて守る可き有り。
儀は容儀を謂ふ。
粲然 として象 る可き底の意有り、文の字と相ひ応ず。
則は準則を謂ふ。
確然 として易 らざる底の意有り、節の字と相ひ応ず。
必ず天理の節文有りて、而 る後に人事の儀則有り。(陳氏) - 胡氏
- 天理は其の禮、故に節を先にして文を後にす。
人事は其の用、故に儀を先にして則を後にす。(胡氏) - 朱子
- 和は従容として
迫 らざるの意。
蓋し禮の體たる、厳なりと雖も然 も皆な自然の理に出づ。
故に其の用たる、必ず従容として迫らず、乃ち貴ぶ可しと為す。
先王の道、此れ其れ美と為す所以にして、小事大事之に由らざること無し。(朱子) - 新安の陳氏
- 用に因りて其の體に
遡 る、惟だ體は自然の理に出づ、故に其の用は従容として迫らざるを以て貴と為す。
従容として迫らざるは、蓋し自然の中より来る。(新安の陳氏) - 講義
- 由之は、是れ和に由るにあらず。
若し和に由るとせば、又た是れ和に意有り了 る。
蓋し之字は先王の道を指して言ふ、即ち禮なり。
之に由るは是れ禮に由る。
禮に由る所以の者は、則ち惟だ禮中に和有るが故なり。
小事は禮の小なる者に由り、大事は禮の大なる者に由るなり。(講義) - 存疑
- 禮の用の和は、禮中の和なり。
和を知るの和は、禮外の和なり。(存疑) - 朱子
- 禮の用の和は、是れ禮中の和、和を知りて和するは、是れ放ちて和を教ゆ。
纔 に放ちて和を教えるは、便ち是れ禮を離却 し了はる。(朱子) - 新安の陳氏
- 節は即ち天理の節文の中、本然の節。(新安の陳氏)
- 朱子
- 上文を承けて言ふ。
此の如くして復た行はれざる所有るは、其の徒 に和の貴しと為すを知るを以て、而して和に一にして復た禮を以て之を節せざれば、則ち亦た復た禮の本然に非ず。
流蕩 して反ることを忘れ、而して亦た行はる可からざるなり。(朱子) - 程子
- 禮勝てば則ち離る、故に禮の用は和を貴しと為す。
先王の道、斯 れを美と為し、而して小大之に由る。
楽勝てば則ち流る、故に行はれざる所有るは、和を知りて和し、禮を以て之を節せざれば、亦た行はる可からず。*1(程子) - 朱子
- 好く勝の字の上に就きて看よ。
只だ這 の些子 を争ふ。
禮纔 に勝つこと些子なれば、便ち是れ離れ了はる。
楽纔 に勝つこと些子なれば、便ち是れ流れ了はる。
其の勝つことを知りて之を中に帰すれば、便ち是れ禮楽の正。(朱子) - 真西山
太 だ厳にして人情に通ぜず、故に離れて合ひ難し。
太だ和して限し節する所無ければ、則ち流蕩 して反 るを忘る。
禮有りて須らく楽有るを用ふべく、楽有りて須らく禮有るを用ふべき所以なり。
此の禮楽は是れ情性の上に就きて説く。(真西山)- 范祖禹
- 凡そ禮の體は敬を主とす、而して其の用は則ち和を以て貴しと為す。
敬は禮の立つ所以なり、和は楽の由りて生ずる所なり。
有子の若き、禮楽の本に達すと謂ふべし。(范祖禹) - 朱子
- 心よりして言へば、則ち心を禮と為し、敬和を用と為す。
敬を以て和に対して言へば、則ち敬を體と為し、和を用と為す。
大抵體用尽きる時無し、只菅 に恁地 し推し将ち去るべし。(朱子) - 礼記
- 楽は天地の和なり、禮は天地の序なり。(礼記)
- 北渓の陳氏
- 禮楽は亦た是れ判然たる二物にあらず、相ひ干渉するにあらず。
禮は只だ是れ箇の序、楽は只だ是れ箇の和、纔 に序有れば便ち順にして和し、序を失へば便ち乖戻 して和せず、父子君臣夫婦兄弟の如き、相ひ戕賊 し相ひ怨み相ひ仇する所以なり。
彼の如く其れ和せざる者、都 て先の父子君臣夫婦の禮無きに縁 る、親義序別無ければ便ち此の如し。(性理字義) - 朱子
- 厳にして泰、和にして節、此れ理の自然、禮の全體なり。
毫釐 も差 ふこと有れば、則ち其の中正を失ひて、各 一偏に倚 る、其の行はる可からざること均し。(朱子) - 陳新安
- 厳は禮の體の厳なるを謂ひ、泰は自然の理、及び従容として迫らざるを謂ふ、此れは上の一節を指す。
和は和を知るの和を謂ひ、節は禮を以て之を節するの節を謂ふ、此れは下の一節を指す。
程范は楽の字を借りて以て和の字を形容す、朱子要帰の論、只だ禮を言ひて楽的に及ばず、厳而泰、和而節の六字、一章の大意を断じ尽す。(陳新安) - 蒙引
- 最要朱子の総註を味わふに、所謂厳にして泰、和にして節、此れ理の自然云々。
蓋し禮の用にして和せざるは、則ち一に厳に倚 りて其の中正を失ふ、未だ貴ぶに足らず。
若し和を知りて禮を以て節するを知らざれば、則ち又た一に和に倚 りて其の中正を失ふ、亦た行はる可からざるなり。(蒙引) - 蒙引
- 至厳の中に、而も至和なる者有りて存す、自然の然らしむるなり。
朱子註に厳にして和と曰はずして、厳にして泰と曰ふ、其の人心自然の安きに出でて、意を和に著する者に非ざるを見 すなり。
又た曰く、
和は固 に便ち指して楽と為す可からず、と。
是れ禮中の楽、天子の八佾 、諸侯の六、大夫の四、士の二の如きは、此れ楽の節有る処、又た是れ楽中の禮なり。
便ち禮楽相ひ離れざるを見る。(蒙引) - 通義
- 有子は事を指して言ふ。
禮と和と相ひ対するときは、則ち禮は是れ厳敬の禮。
朱子は本と理にして言ふ。
和は禮の中に在れば、則ち禮は是れ全體の禮、厳にして恭は、上截を説き、和にして節は、下截を説く。
章指を該 ね尽す。(通義) - 胡雲峰
- 集註、前の一節は體用を分ち、後の一節は独り全體を説くは何ぞや。
前章は是れ有子の用を言ふに因りて、其の體を推し原 り、後総て禮の全體を説くは、則ち前に所謂體用といふ者を包 ねて、其の中に在り。(胡雲峰) - 伊藤仁斎
- 和は美徳にして禮の貴ぶ所なり。
故に人皆な之を貴ぶことを知りて、其の弊 るる所も亦た此に在るを知らず。
蓋し道の廃する所は必ず弊るる所に生じ、弊るる所は必ず貴ぶ所に生ず。
能く其の弊るる所を視て、早く之に反 るを難しと為す。
故に曰く、
禮を以て之を節せざれば、則ち亦た行はる可からざるなり、と。
明にして且つ尽せりと謂ふ可し。(論語古義) - 伊藤仁斎
- 旧註に曰く、
禮の體たる、厳なりと雖も、然も其の用たる、必ず従容 として迫らず、と。
蓋し體用の説は、宋儒より起こり、而して聖人の学は素 より其の説無し。
何となれば聖人の道、倫理綱常 の間に過ぎずして、各々其の事実に就きて用工 し、而して未だ嘗て心を澄まし慮を省き、之を未発の先に求めず、故に所謂、仁義禮智も亦た已発 に就きて用工し、而して其の體に及ばず。
唯だ仏氏の説は倫理綱常を外にして、専ら一心を守り、而 も亦た人事の応酬に已むこと能はず、故に真諦 と説き、仮諦 と説き、自ずから體用の説を立てざること能はず。
唐の僧、華厳経の疏 に云ふ、
體用は源を一にし、顕微 は間無し、と。
是れなり。
其の説、儒中に浸淫 し、是に於いて理気體用の説興る。
凡そ仁義禮智は皆な體有り用有り。
未発を體と為し、已発を用と為し、遂に聖人の大訓をして支離決裂せしめ、用有りて體無きの言を為す。
且つ體用を説かば、則ち體は重くして用は軽く、體は本にして用は末なり、故に人皆な用を捨てて體に趨 かざるを得ず。
是に於いて無欲虚静の説盛んにして、孝弟忠信の旨は微なり。
察せざる可からず。*2(論語古義)
語句解説
- 有若(ゆうじゃく)
- 有若。春秋時代の魯の人。字は子有。孔子の門弟で容貌が孔子に似ていたとされる。孔子家語弟子解篇には強識にして古道を好むと記されている。
- 粲然(さんぜん)
- 明らかなさま。あざやかなさま。清らかなさま。粲(さん)は精白した米で、清く明らかな様をいう。
- 確然(かくぜん)
- 確固として定まっている様。
- 流蕩(りゅうとう)
- 心がうごくこと。遠方へ遊びまわること。流宕(りゅうとう)。放逸。
- 些子(さし)
- いささか。
- 恁地(にんち)
- このように。恁的。
- 乖戻(かいれい)
- もとる。食い違うこと。ちぐはぐなこと。
- 戕賊(しょうぞく)
- そこなうこと。
- 毫釐(ごうり)
- きわめてわずかなこと。
- 八佾(はちいつ)
- 八人八列で舞う天子の舞楽。
- 従容(しょうよう)
- ゆったりとして落ち着いている様。物事に動ぜざる様。
- 綱常(こうじょう)
- 人の守るべきところ。三綱五常。三綱は君臣父子夫婦、五常は仁義礼智信。
- 用工(ようこう)
- 勉めること。工は功に通ず。
- 真諦(しんてい)
- 真理。仏教における絶対の真理。
- 仮諦(けたい)
- 仏教における三諦(空仮中)の一。現象部分の真理をいう。有限の無限性。
- 浸淫(しんいん)
- 浸み込む。だんだん進行すること。親しむ。
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- *1礼記楽記篇「楽は同を為し、禮は異を為す。同じきは則ち相ひ親しみ、異なるは則ち相ひ敬す。楽勝てば則ち流れ、禮勝てば則ち離る。」程子がここで楽をいうは、楽は同して親しみ自ずから和すが故か。
- *2體用の説は知と行を分けるようなもの。伊藤仁斎の述べるのは王陽明の所謂知行合一に通ず。