論語-学而[11]
原文
子曰。父在観其志。父没観其行。三年無改父之道。可謂孝矣。
書き下し文
[非表示]
子曰く、
父
三年父の道を改むる無きは、孝と謂ふ可し[2][3][4][5][6][7]、と。[8][9]
現代語訳・抄訳
孔子が言った。
父が生存していれば何を志すかを観、父が没すれば何を行うかを観る。
死して後三年経っても父の道を改めることが無ければ、孝というべきである、と。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」56-57/600,簡野道明著「論語解義」22/358,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」22/223
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備考・解説
志は士の心。
それは理想に邁進して現実のものにする強さである。
人は父母より生を受け、次代に繋ぐ。
父母在るとき、子は成長の過程にあるが故に、何を目指して生きるのかを観る。
父母死して後は、行を観る。
それは何を抱いて生きてゆくかである。
父母の想いを継ぎ、祖先の志を継ぎ、自己の理想を以て発展させ往く、これを孝という。
生あるときはもとより、死して後も断絶なき、これを孝の至極という。
三年は喪の期間。
心情として特に慎む期間であって、幾久しくの意にとるが妥当であろう。
注釈
- 文林貫
- 観は審察なり、二の其の字は人の子を指す。(文林貫)
- 中庸
- 孝は善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり。(中庸)
- 礼記
- 所謂孝なる者は意に先だち志を承く。(礼記)
- 伊藤東涯
- 人の父たる者、未だ必ずしも皆な賢ならずと雖も、各々其の分に随ひて制法を
遵 ふべきもの有らざるなし。
之が子たる者、喪の期未だ畢 らずして、遽然 として、其の好む所に従ふは、是れ其の父を死せりとする不孝の甚だしきなり。
故に三年父の道を改むることなくして然る後に孝と謂ふべし。(伊藤東涯) - 蒙引
- 三年改むる無きは、只だ是れ要は其の親を死せりとせざるの心に有り、此れ人の子の大節なり。
此の一点の念、若し無ければ則ち是れ其の親の没するを幸いとして、以て自ら行ふを得て、天理人心の存する所の者、亦た幾何 ぞや。
此れ夫子の意を三年改むること無きの説に寓する所以なり。(蒙引) - 尹焞
如 し其れ道ならば、身を終るまで改むること無しと雖も可なり。
如 し其れ道に非ずんば、何ぞ三年を待たんや。
然らば則ち三年改むる無き者は、孝子の心の忍びざる所有るが故なり。(尹焞)- 游酢
- 三年改むること無しとは、亦た当に改むべき所に在りて、以て未だ改めざる可き者を謂ふのみ。(游酢)
- 蒙引
- 上の二句は其の人の善否を看る、下の一句は、則ち専ら子道に就ひて他を看る。
下の句尤も重し、章句の意を味ふに、必ず為にすること有りて発す。(蒙引) - 伊藤仁斎
- 夫れ孝なる者は身を立て道を行ひ、令名を失はざるを以て本と為し、志を継ぎ事を述べ、先業を墜とさざるを以て尽すと為す。
故に其の志行 善からざれば、則ち日に三牲の養を用ひると雖も、猶ほ不孝と為す。
況や父没せしの後、自ら己の意に狥 ひ、其の良法を改むるは、則ち実に不孝の甚だしきなり。
嘗て孟荘子の孝を論じて曰へり、*1
其の父の政と父の臣とを改めざる、是れを能く難しと為す、と。
即ち此の謂ひなり。
或ひと曰く、
若し父の道が善なれば、則ち終身之を守りて可なり、三年改むること無しと曰へる者は何ぞや。
且つ人の父たる者、其の必ず皆な善なるを保し難きは如何、と。
曰く、
人の父、固 より良有り不良有り。
其の不良なる者は、蓋し措 きて論ぜず、夫子特に其の良なる者に就きて之を言へり。
凡そ中人以上は各々其の人に随ひて良法無きこと能はず、故に之が子は、微善と雖も以て奉行せざる可からず。
三年改むること無しとは、永久之を守るを謂ふ、三年の後は便ち之を改む可しと謂ふに非ざるなり。
其の三年を以て言へる者は、蓋し三年を過ぎて後は、即ち己の道にして父の道と謂ふ可からざるなり、と。(論語古義)
語句解説
- 遽然(きょぜん)
- おどろくさま。あわてるさま。あわただしいこと。
- 幾何(いくばく)
- どれほど。どのくらい。「きか」とも読む。
- 三牲(さんせい)
- 牛と羊と豕(いのこ)。宗廟に供える三種のいけにえのこと。
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- *1論語子張篇