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論語-学而[9]

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原文

曾子曰。愼終追遠。民德歸厚矣。

書き下し文

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曾子そうし曰く、
終りを慎み遠きを追へば[1]、民の徳、厚きに帰す、と。[2][3][4][5][6]

現代語訳・抄訳

曾子が言った。
節操を持して先祖を敬す、さすれば民の徳、自ずから厚きに帰すだろう、と。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第1冊」52-53/600,簡野道明著「論語解義」20/358,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」21/223
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孔子
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備考・解説

終りを慎むは、礼(節操)の意に取った。
何事であれ、その人のあり方が最も顕れるのは「終り」である。
くだらない人間が地位に固執して終りを汚すのも、気骨ある者が己を貫いて晩節を全うするのも、全てその人のあり方であり、民衆はそれを感知し、あるいは忌諱し、あるいは敬慕する。
敬慕するに至れば、世の風俗は正に帰す。
死者を送るの礼、即ち葬式を荘厳に慎むのも、また終りの大事なるが故である。
その生を全うした者にとって、死とは有限から無限へと遷化することである。
本当に生きたのならば、死せる者は“遠き”に至る。
そしてそれを“追う”者は、今を生きる者でなければならない。
故に厳粛に礼してこれを送り、慎んで受け継ぐのである。
この受け継ぐということ、これを孝の至極という。
それは祖先を継ぎ、子孫に託すことであり、それは“永遠”であり、人の寿命などは問題にならぬ遠大なるものである。
この“継ぐ”ということは、単に血統を残すなどという短絡的なものではない。
王陽明の所謂「滴骨血てきこつけつ」であり、道統を継ぎ、絶学を紡ぐことである。
故に張横渠は「天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」といい、安岡正篤は「道統は無窮」という。
それは孟子の所謂「先聖後聖、其の揆一なり」であり、絶えざる反本復始なのである。

注釈

存疑
終りを慎むは父母を指す、遠きを追ふは父母に止まらず、凡そ遠祖皆な是なり。(存疑)
朱子
終りを謹み遠きを追ふは、自ずから是れ天理の当に然る所、人心の自ずからむこと能はざる所の者、自ずから是れ上なる人の当に為す所、民を化するが為にして之を為すにあらず。
能く此の如くなれば、則ち己が徳厚くして民の徳も亦た之に化して厚し。(大全)
許東陽
終りを慎むは哀中の敬を存す、遠きを追ふは敬中の哀を動す。
厚なる者は民の本性、今、上に感じて化す、外より家に帰るが如きなり。(許東陽)
朱子
終りを慎むとは喪に其の禮を尽す、遠きを追ふとは祭に其の誠を尽す。
民の徳厚きに帰すとは、下民の之に化して、其の徳も亦た厚きに帰するを謂ふ。
蓋し終なる者は人の忽せにし易き所なり、而して能く之を謹む。
遠なる者は人の忘れ易き所なり、而して能く之を追ふ。
厚きの道なり。
故に此れを以て自らおさむれば、則ち己の徳厚し、下民之に化し、則ち其の徳も亦た厚きに帰すなり。(朱子)
楊時
孟子云はく、*1
生を養ふは以て大事に当つに足らず、惟だ死を送る以て大事に当つ可し、と。
人の子の宜しく慎むべき所なり。
故に三日にしてひんす、凡そ身に附くる者は、必ず誠、必ず信あり、之を侮る有ること勿きのみ。*2
夫れ一物もそなはらずんば皆な悔ゆるなり。
悔ひ有りと雖も及ぶこと無し、此れ慎まずんばある可からざるなり。
春秋に祭祀して、時を以て之を思ふ*3は、遠きを追ふ所以なり。
ものいみの日、其の居廬きょろを思ひ、其の笑語を思ひ、其の志意を思ひ、其の楽しむ所を思ひ、其のこのむ所を思ふ。
斎すること三日にして、乃ち其の為に斎する所の者を見る、則ち孝子の其の心を尽す所以の者至れり。
是を以て而して之を帰せば、民の徳其れ厚きに帰せざること有らんや。(楊時)
伊藤仁斎
世の道を知らざる者、必ず目前の近効を速やかにして、終りを慎むをゆるがせにし、末俗の苟簡こうかんに習ひて、遠きを追ふことをわする。
此の如くなる者は、其の自ら修むる所以の者既に薄し。
何を以てか能く其の民を化し、之を厚きに帰せしむるや。
然らば則ち其の国をおさむるも亦た知る可きなり。(論語古義)

語句解説

曾子(そうし)
曾子。曾参。春秋時代の思想家。字は子輿。孔子の弟子。孝行で知られ、「孝経」を著したとされる。
居廬(きょろ)
喪中の仮小屋で暮らすこと。廬はかりや、かりずまいの意がある。
苟簡(こうかん)
かりそめ。一時的な間に合わせ。
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  • *1離婁下篇
  • *2礼記檀弓上篇
  • *3孝経喪親

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