論語-学而[7]
原文
子夏曰。賢賢易色。事父母能竭其力。事君能致其身。與朋友交。言而有信。雖曰未学。吾必謂之学矣。
書き下し文
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子夏曰く、
賢を賢として色に
現代語訳・抄訳
子夏が言った。
人の偉大さに感じて発憤し、父母に仕えて力行
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」47-49/600,簡野道明著「論語解義」18-19/358,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」20/223
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備考・解説
賢を賢として色に
色は大学に「好色を好むが如く、悪臭を悪むが如し」とあるように、自然なる姿をいう。
美しきを見て之を好むは人の情であり、それと同じように人の偉大さを見て自らもそうであろうと欲する者は人情の人である。
父母に事へて力を尽すは孝の一端。
君に事へて身を致すは忠の一端。
いずれも一端に過ぎざれども、孝忠に至るの道を歩むには足る。
朋友と交わるは、孔子曰く「晏平仲、善く人と交わる。久しうして人これを敬す」と。
至誠真実なるが故に交友全し。
言に信あるは、発するところと己の乖離無きをいう。
書を読みて学ばざる者あり、読まずして自ずから学ぶ者あり。
然りと雖も、読みて実ある者には及ばざれば、余力ありて文を学ぶの語を忘れ給うべからず。
注釈
- 孔註
- 色を好むの心を以て、賢を好めば則ち善し。(孔註)
- 四書脉
- 賢を好むと
曰 はずして、賢を賢とすと曰ふは、斉 からんことを思ひ、及ばざるを愧じるの意有り。
易は位を易へ嫡を易るが如し、此れ色身を将 て都 て換過 し了 る。
只だ賢を好むを極誠なりと説くが如きは、此の題の義を尽すに足らず、二の能の字を重く看よ。(四書脉) - 漢書
- 聖人、天に
承 け、賢を賢として色に易ふ。
師古曰く、
賢を賢とするは賢人を尊上す、色に易ふは色を軽略して之を貴ばざるなり、と。(漢書) - 朱子
- 人の賢を賢として、其の色を好むの心に易ふるは、善を好むの誠有るなり。(朱子)
- 程伊川
- 賢を見て顔色を変易す。
集註に何が故に范氏色を好むの説を取らんや。(程伊川) - 朱子
- 孔子に両言あり、未だ徳を好むこと色を好むが如きを見ず、と。
中庸に亦た色を遠 るを以て賢を勧むるの事と為す。
已 に分曉し了 る。
顔色を変易するは、偽りて之を為す者有り、色を好むの心に易ふるは、方 に其の誠を見るに若かざるなり。
故に范が説を長と為す。(朱子) - 朱子
- 致は猶ほ委のごときなり。
其の身を委ね致すは、其の身を有せざるを謂ふなり。(朱子) - 朱子
- 其の身を有せずとは、是れ己の私計を為さざるなり。(大全)
- 朱子
- 四者は皆な人倫の大なる者、而して之を行ひて必ず其の誠を尽す、学は是の如くなるを求むるのみ。(朱子)
- 雙峰の饒氏
- 賢を賢とするは亦た朋友の倫なり、賢を尊び友を取るは、均しく朋友の倫に属すと雖も、而も賢を賢とするを重しと為す。
集註に四者を以て之を言ふに、人倫は君親より重きは莫し、此に賢を賢とするを以て先に居るは、善を好むの誠有りて、方 に能く下三事を行ふを以てなり。
中庸の九経に、賢を尊ぶを以て親を親するに先するも、亦た此の意なり。(雙峰の饒氏) - 新安の陳氏
- 色に易るは是れ賢を好むに誠あり、力を
竭 すは是れ親に事ふるに誠あり、身を致すは是れ君に事ふるに誠あり、言に信あるは是れ友に交はるに誠あり。(大全) - 正解
- 聖賢の学、只だ是れ
个 の誠、四段倶に一个 の誠字を摹寫 せんことを要す。
首句は易の字の上に在りて他の誠を見、中二句は両の能字の上に在りて他の誠を見、朋友と交はるの二句は、有字の上に在りて他の誠を見る。
倶に現成の人を指して説く。
雖曰の句は、君を要せずと曰ふと雖もの類いの如し。
乃ち其の詞を抑揚して、以て其の学に深きを見はす、真に未だ学ばざるに非ざるなり。
蓋し学は只だ是れ倫を尽す。
倫、既に尽し了 らば、便ち是れ真の学問、此れ正に学の本を得たる者なり。
註中生質の句は重んずること勿れ。(正解) - 存疑
- 子夏が本意を
原 ぬれば、資質の上に就きて説く。
朱註に、苟くも生質の美に非ざれば、必ず其れ学を務むるの至りならんと。
是れ他に替へて周旋 す。
圏外の游呉二子の説明、白*1痛快なるに若かず。(存疑) - 朱子
- 人、
固 より資稟 自ずから好く、学を待たずして自ずから能く此の数者を尽すこと有り。
然れども其れ学を為さしめば、則ち亦た此の数者を学ぶに過ぎざるのみ。
故に曰く、
人、以て未だ学ばずと為すと雖も、而も吾は必ず以て已 に学と為す、と。(大全) - 游酢
- 三代の学は、皆な以て人倫を明にする所なり。
是の四者を能 くせば、則ち人倫に於いて厚し。
学の道たる、何を以てか此に加へん。
子夏、文学を以て名あり、而も其の言、此の如くなれば、則ち古人の謂う所の学といふ者を知る可きか。(游酢) - 伊藤仁斎
- 子夏、聖人に
親炙 するを得て、篤く信じ堅く守りたれば、則ち固 に当に真に聖人の意を得。
而して今其の言此の如くなれば、則ち聖門の所謂 学を知る可し。
故に学者能く子夏の意を得て、而る後に以て書を読む可し。
然らずんば則ち文学観る可しと雖も、而も未だ学ばざるの人と同じ。
察せざる可からず。(論語古義) - 新安の陳氏
- 子夏の文学は、文芸の末を事とするに非ずして、徳行の本を重んずるを見る可きなり。(大全)
- 呉棫
- 子夏の言、其の意善し。
然れども詞気の間、抑揚太だ過ぎたり、其の流弊、将に或ひは学を廃するに至らんとす。
必ず上章夫子の言の若くにして、然る後に弊無しと為すなり。(呉棫) - 朱子
- 子夏の此の言、他に説殺せられ
了 る、子路が何ぞ必ずしも書を読まんと同じ。
其の流弊、皆な学を廃するに至る。
行、余力有らば則ち以て文を学ぶ、有道に就きて正すを学を好むと謂ふ可しの類ひの若き、方に聖人の言なり。(朱子) - 不明
- 天下の理、大小本末有り、皆な天理の無くんばある可からざる者。
故に学者の務めは、緩急先後に有りて、以て偏廃す可からず。
但だ末をして本に勝たしめ、緩をして急に先んぜしむる可からざるのみ。
聖人の所謂、行、余力有らば則ち以て文を学ぶ者を観るに、其の語、意、正に此の如し。
子夏の論の若きは、則ち枉 を矯 めて其の正に過ぎたるのみ。(不明) - 胡氏
- 未だ学ばざるを以て生質の美*2と為す者は、人、
固 より気質の清粋を得て、為す所、理と暗に合うこと有り。
然れども質の美は限り有りて、学の益は窮まり無し。
故に呉氏又た其の抑揚の偏有るを慮るなり。(胡氏)
語句解説
- 子夏(しか)
- 子夏。春秋時代の魏の学者。名は商。孔門十哲の一人。文学に秀でる。孔子に「子夏なればこそ詩を共に語るに足る」と称えられた。
- 分暁(ぶんぎょう)
- はっきりと明らかなこと。夜明け。
- 摹寫(もしゃ)
- 摸写。写すこと。
- 周旋(しゅうせん)
- ぐるぐるめぐること。立ち居振る舞い。間にはいって取り持つこと。
- 資稟(しひん)
- 天性。うまれつき。生来の性質。
- 流弊(りゅうへい)
- 世の中の悪弊。世間に広まっている弊害。
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- *1あきらか、かくさずにいう
- *2子夏の言として次の記述あり「故に子夏言ふ、能く是の如きの人有らば、苟くも生質の美に非ずんば、必ず其れ学を務むるの至り。或ひと以て未だ嘗て学を為さずと雖も、我は必ず是を
已 に学と謂ふ。」朱註?
関連リンク
- 子夏
- 春秋時代の魏の学者。紀元前507-420年。名は商で子夏は字である。孔…