論語-学而[6]
原文
子曰。弟子入則孝。出則弟。謹而信。汎愛衆而親仁。行有餘力。則以學文。
書き下し文
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子曰く、
現代語訳・抄訳
孔子が言った。
初学の者、まずは家に在って孝を尽し、外に在って
尚も余力があるならば、文を学ぶとよい、と。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」45-47/600,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」19-20/223
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備考・解説
孝は先祖父母と一体なるが如し。
祖先を継いで子孫に至るを孝の至極という。
弟は天命に順なるが如し。
人の長幼は天命、長を長とし老を老とするは順、治の要なり。
信は事に及んで違えざること。
妄語せず妄動せずして謹めば、やがては自然に信となる。
仁は全てを容れて発展向上に至らしめること。
慈愛寛容はその一端なるが故に、愛を以て仁に「親しむ」という。
そこから発展向上、即ち忠(中の心)に至らねば仁とはならない。
故に「夫子の道は忠恕のみ」という。
なお、注釈の中に「親仁」を「仁者に
愛は仁の一端なるが故に「親しむ(親づく)」という。
末尾に「余力有らば学びなさい」とあることを忘れてはならない。
仁者に
まずは己を発し、その上で他から吸収し、身になればまたそれを発し、至れば未発にして自ずから通ず、これを中という。
文を学ぶは孝、弟、信、親仁の後ではなく、四者を励んで尚も余力があれば大いに学ぶをいう。
一つも忽せにする有らば、それを励まずんばあるべからざるの謂い。
孝は情(詩)、弟は序(禮)、信は事(書)、親仁は和(楽)。
各々を実践し、その上で文(六経)からも学ぶべしと解するのが妥当か。
六経は詩経、書経、礼経、楽経、易経、春秋経。
六芸は礼節、音楽、弓術、馬術、文学、数学。
ただし、漢代より六芸を六経の意で用いる場合がある。
注釈
- 存疑
兄弟 は父母に対して言ふ。
則ち父母は内なり、兄弟は外なり、此の弟の字の該 る所、頗 る広し。
専ら兄を指すにあらず、凡そ宗族郷党の年、我れに長ずる者、皆な是れなり。
謹むは動作威儀に常度 有りて易くせざるが如き是れなり。(存疑)- 朱子
- 謹とは行の常あるなり、信とは言の実あるなり。(朱子)
- 講述
- 謹は行に
常度 有り、皆な規矩 を守りて則ち変ぜざるなり。(講述) - 通義
- 中庸に曰く、*1
庸行 を謹み、庸言 を信にす、と。
故に謹は行を主とし、而して信は言を主とす、常有るは則ち能く謹むなり、実有るは則ち能く信するなり。(通義) - 大全
汎 く衆を愛すを問ふ。
朱子曰く、
人、自ずから是れ当に人を愛すべし、人を憎み嫌ふ底の道理無し、と。
又た問ふ、
人の賢不肖、自家の心中自ずから須らく箇の弁別有るべし。
但だ交接の際、汎 く愛せざる可からざるのみ、と。
曰く、
他の下面、便 ち仁に親と説き了 る。
仁者に自ずから当に親 づくべく、其の他は自ずから当に汎く愛すべし、と。(大全)- 朱子
- 汎く愛して仁に
親 づくと説かずんば、又た兼愛に流れんか。(朱子) - 不明
- 仁に
親 なるを問ふ。
曰く、
此れ亦た是れ文を学ぶの本領、蓋し仁に親 ならずんば、則ち本末是非、何に従ひて之を知らん、と。(不明) - 蔡氏
- 孝は
定省 温情の類の如し、弟 は杖履徐行の類の如し。
謹は則ち跬歩 も敢へて放肆 にせず、信は則ち一語も敢へて誕慢 ならず。
寔 れ則ち其の事有り、故に行と曰ふ。(蔡氏) - 講述
- 余力は行を修むること
已 に至るに非ず。
但だ親長に奉ぜず、衆人に接せざれば、便 ち是れ文を学ぶも、亦た専ら孝弟謹信親愛の道理を究 むるに非ず。
但だ此の道理、亦た其の中に在り。(講述) - 燃犀解
- 則以は、猶ほ即用と言はんがごとし。
一刻も放逸の意なし。(燃犀解) - 朱子
- 只だ是れ此の数事を行ふの外、余剰の工夫有らば、
便 ち此の工夫を将 ち去りて文を学ぶ。
行、従容の地位に到りて後に文を学ぶ可しと謂ふに非ざるなり。(朱子) - 章圖
- 詩は情に発す、書は其の事を紀す、禮は序を主とす、楽は和を主とす。
射御書数、皆な理の寓する所にして、外に見はる者、故に文と曰ふ。(章圖) - 燃犀解
- 文は前言往行の如き、之を
載籍 に見はす者。
之を学ぶは則ち以て身心を簡束し、識見を開発す可し。
皆な敦 く行ふの方 なり。(燃犀解) - 程子
- 弟子の職を為す、
力 めて余り有るときは則ち文を学ぶ。
其の職を修めずして文を先にするは、己が為にするの学*2に非ざるなり。(程子) - 尹焞
- 徳行は本なり、文芸は末なり、其の本末を窮めて、先後する所を知らば、以て徳に入る可し*3。(尹焞)
- 洪興祖
- 余力未だ有らずして文を学べば、則ち文、其の質を減ず。
余力有りて文を学ばざれば、則ち質、勝ちて野なり。*4(洪興祖) - 蒙引
- 子、四を以て教ふ、文行忠信と。
文も亦た是れ此等の文に止まらず、行も亦た是れ此等の行に止まらず。
所謂、格物致知・誠意・正心・修身の者なり。
洪氏が註に、文を以て質に対して言ふ、恐らくは孔子の意に非ず。(蒙引) - 何文定
- 文、其の質を減ずる者は、虚文勝ちて実徳亡ぶるなり。
質、勝ちて野なる者は、実行有りて節文無きなり。
聖賢、見成 の條法有り、之を考へざれば則ち以て道に入るの方を為す無し。
事物、当然の至理有り、之を窮めざれば則ち以て善を明にするの要を為す無し。
故に力を孝弟に尽し、謹信人を待ち物に接するの間と雖も、而も毫釐 の差は千里の謬 り*5なるを知らざれば、或ひは善を以て之を為して、而して未だ必ず天理の正に合し、而も人欲の私に出でずんばあらず。(通義) - 朱子
- 行を
力 めて文を学ばざれば、則ち以て聖賢の成法を考へ、事理の当然を識ること無くして、而も行ふ所、或ひは私意に出づれば、但だ之を野に失するのみに非ず。(朱子) - 雙峰の饒氏
- 尹氏は文を以て徳行に対す。
本末先後の分有り、文の字を説き得て軽し。
洪氏は文を以て質に対して言ふ。
偏勝す可からず、文の字を説き得て差 重し。
朱子は文を学ぶを以て致知と為し、力行と対するを為す。
知る所、明らかならざれば、則ち行ふ所、理に当たらずと謂ふ、文の字を発明すること甚だ重し。
三者、互ひに相ひ発明す、蓋し但だ文を軽しと為すを知りて、其の重しと為すを知らざれば、則ち将に学を廃するの弊あらんとす。
故に交 抑揚の意を致さざるを得ず。(大全) - 趙氏
- 徳は
固 より一日として修めずんばある可からず。
学も亦た一日として講ぜずんばある可からず。(趙氏) - 新安の倪氏
- 文行の二者は、本末の重軽を以て言へば、則ち行を重しと為す。
故に此の章は行を先にして文を後にし、本を先にして末を後にす。
知行の先後を以て言へば、則ち文は先と為す。
故に四教章*6は文を先にして行を後にし、知を先にして行を後にす。
二章を以て之を参観せば、則ち文行の並び進まざる可からざることを見る可し。(新安の倪氏) - 伊藤仁斎
- 此れ学問の当に其の初めを慎むべきを言ふなり。
孝弟は人倫の本、謹信は力行の要、汎愛親仁は成徳の基、余力学文は亦た有道に就きて焉 を正すの意。
言はば弟子たる時に在りて、果たして能く此の如きなるは、則ち学自ずから正しく、徳自ずから修まりて、終身の業も得ん。(論語古義) - 伊藤仁斎
- 凡そ学は須らく其の初めを慎むべし。
入る所一たび差 へば、必ず終身の害を貽 す。
後世の学者、徳行を主と為すことを以て知らずして、専ら文を学ぶを以て事と為せり、故に其の卒 りたるや必ず異端俗儒の流 と為る。
蓋し古は徳行を以て学問と為す、故に学問既に成りて道徳自ずから立ち、見聞益々広くして躬行 益々篤し。
後世は徳行を以て徳行と為し、学問を以て学問と為す。
故に既に学び、而して又た徳行を修め、以て其の意に副 ふ、故に毎に文学勝りて徳行及ばざるの患ひ有り。
或ひは未だ徳行に及ばず、而して流れて記誦 文詞に至りて止む者有り。
其の初めの慎まざる可からざること此の如し。(論語古義)
語句解説
- 弟子(ていし)
- 門人。若者。年少者。子や弟のように父兄に従う者を意味する。
- 常度(じょうど)
- ふだんの態度。不変の法則。
- 庸行(ようこう)
- 素行。日頃の行い。平素の行い。分に応じた行い。
- 庸言(ようげん)
- 常日頃の言葉。
- 跬歩(きほ)
- 一足二足。半歩一歩。跬はかたあしの意で一足、歩は一歩で二足。
- 従容(しょうよう)
- ゆったりとして落ち着いている様。物事に動ぜざる様。
- 載籍(さいせき)
- 書籍。書物に書き載せること。
- 見成(けんせい)
- 自ずから生ずること。眼前に出現していること。けんじょう。
- 毫釐(ごうり)
- きわめてわずかなこと。
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- *1庸言之信、庸行之謹は易経・乾の卦(文言伝)にみえる。中庸は「庸徳之行、庸言之謹」。
- *2論語・憲問篇「古の学者は己が為にす、今の学者は人の為にす」。程子曰く「己が為にすとは之を己に得んと欲するなり」。人の為にすとは之を外に見はさんと欲するをいう。
- *3大学「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知らば、則ち道に近し」
- *4論語雍也篇「質、文に勝てば則ち野、文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子なり」
- *5礼記・経解「易に曰く、君子は始めを慎む。
差 ふこと毫釐の若くなるも、繆 るに千里を以てす、と。」 - *6述而篇「子以四教、文・行・忠・信。」
- *7汎は汎用と使うように茫洋として広い意味がある。慈愛の心の広大なること海の如きをいう。