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論語-学而[2]

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原文

有子曰。其為人也。孝弟而好犯上者鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其為仁之本與。

書き下し文

[非表示]

有子曰く、
其の人と為りや、孝弟[1]にしてかみを犯す[2]ことを好む者は、すくなし。
上を犯すを好まざれば、乱をすことを好む者は、未だ之れ有らざるなり。
君子は本を務む[3]、本立ちて道生ず、孝弟なるは[4]、其れ仁[5][6][7][8][9]を為す[10]の本[11][12][13][14][15][16]か、と。[17][18][19][20][21][22][23][24]

現代語訳・抄訳

有若ゆうじゃくが言った。
その人としてのあり方たるや、孝の道を尽くし弟の道を尽くす者に、上に逆らい長者を凌ぎ犯すことを好む者は少なし。
長者を凌ぎ犯すことを好まざれば、私をほしいままにして乱すことを好む者は未だかつて居らないのである。
君子は本を務め、本を立ちて道を得る。
孝弟というものは、仁を為すの本というべきか、と。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第1冊」34-38/600,簡野道明著「論語解義」13-14/358,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」17-18/223
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備考・解説

孝弟の道は貴ぶなり、従うに非ず。
人の長幼は天命なり、自ずから然るところを貴び、以て天命を知る。
故に和を好み、乱を悪む。
己を知り、彼を知り、道に順って背かず、知らず知らずに善を為し、為さずして為すに至るは、その努むるところ本なるが故である。
仁者なればこそ能く人を愛し、能く人を悪む。
導くべきところを知れば、身を以て指し示すのみ。
古者曰く、
孝弟は仁に非ず、仁を為すの本、と。
仁なるが故に自然と孝、自然と弟、発し来たりて表に出づれば、仁の端を示す。
その帰するところは一なり。

注釈

浅説
其の人と為り孝弟は、天資に得る者有り、学力に得る者有り。(浅説)
朱子
犯は必ず凌ぎ犯すに非ず、只だ少しももとり逆ふこと有るは、便ち是れ上を犯すなり。
疾く行き長に先だつが如きも亦た是なり。(朱子)
簡野道明
君子は、百事一途に精力を根本に用ふ。
根本すでに立つときは、道筋は自ずから油然ゆうぜんとして其の中に生ず。
上文に孝弟は仁の根本と為すかと、則ち孝弟は百行の本たるをいふなり。(論語解義)
代言
人の人と為る、百行多端にして、人と為る所以は、只だ先づ子たる所以を求め、人と為る所を求め、上を犯し乱をすを好まざるが如き、皆な是れ其の人と為る所以の処を得て、皆な之を孝弟に得。
故に曰く、孝弟は乃ち人と為るの本、と。(代言)
朱子
仁は愛の理、是れひとえに言へば則ち一事、心の徳、是れ専ら言へば則ち四つの者*1ぬ。
仁は愛の理、理は是れ根、愛は是れ苗、愛は是れ情と雖も、愛の理は是れ仁なり。
仁は愛の理、愛は仁の事、仁は愛の體、愛は仁の用、愛の理は仁より出づるなり。
然れども亦た愛を離し了りて仁を説き去る可からず。
昌黎しょうれい*2、博愛之を仁と謂ふは、是れ情を指して性と為し了はる。(朱子)
呉氏程
愛の理は是れひとえに言ふに之れ仁、義禮智信にわたらず、心の徳は是れ専ら言ふの仁、義禮智信をねて皆な其の中に在り。(大全)
性理大全
問ふ、
仁は心の徳、愛の理か、と。
曰く、
仁は心の徳とは、猶ほ潤ふ者は水の徳、かはける者は火の徳と言ふがごとし、愛の理とは、猶ほ木の根、水の根と言ふがごとし。
試みに此の意を以て之を思へ、と。(性理大全)
性理大全
西山の真氏曰く、
仁の一字、古より訓無し、と。
つ義は宜と訓じ、禮は理と訓じ又た履と訓じ、智は智と訓ずるが如きは皆な一字を以て其の義を名づく可し、惟だ仁は一字を以て訓ず可からず。
孟子曰く、
仁は人なり、と。
亦た只だ是れ言ふは、仁は乃ち人の人と為る所以の理、亦た是れ人を以て仁と訓ぜず。
蓋し仁の道の大にして、五常*3ね、萬善を貫くにる、所以ゆえに一言を以て之を尽す可からず。
漢より以後、儒者只だ愛の字をもって仁を説く、ことに仁はもとより愛を主とするを知らず、然らば愛は以て仁を尽すに足らず。
孟子曰く、
惻隠の心は仁の端なり、と。
惻隠なる者は此の心惻然としていたむること有らば、即ち所謂愛なり。
然れども只だ是れ仁の発端にして、韓文公、博愛之れを仁と謂ふと言ひ、程先生之をそしりて以為おもへらく、
仁は自ら是れ性、愛は自ら是れ情、愛を以て仁と為すは、是れ情を以て性と為すなり、至れるかな言や、と。
朱文公先生、始めて愛之理心之徳の六字を以て、之を形容す。
所謂愛の理は、言ふは仁は愛に止まるに非ず、乃ち愛の理なり*4
蓋し體を以て之を言へば、則ち仁の道の大にしてねざる所無く、発して用と為せば則ち愛を主とす。
仁は愛の體なり、愛は仁の用なり、愛なる者は赤子せきしせいに入るを見て、惻然として以て之を救ふこと有らんと欲し、以て矜憐憫惜慈祥恩恵きょうれんびんせきじしょうおんけいに至るが如し、愛の謂ひなり。
性中既に仁有りて発出し来たる、便ち是れ愛は根上に苗を発出するが如し。
苗を以て根より出づると為せば則ち可なり、苗を以て便ち根と為せば則ち不可なり。
愛を以て仁より出づると為せば則ち可なり、愛を以て便ち仁と為せば則ち不可なり。
故に文公、愛之理の三字を以て之を言ふ、まさに説き得て尽す。(性理大全)
性理大全
心の徳とは何ぞや。
蓋し心は此の身の主にして、其の理は則ち天より得。
仁義禮智皆な心の徳にして、仁又た五常の本たり、元亨利貞げんこうりてい皆なけんの徳にして、げん独り四徳の長なるが如し*5
天の元は即ち人の仁なり、元は天の全徳なり、故に仁も亦た人心の全徳なり。
然るに仁の心の徳たる所以の者は、正に愛を主とするを以ての故なり。
仁の能く愛する所以の者は、蓋し天地は物を生ずるを以て心と為し、而して人は之を得て以て心と為す、是を以て愛を主とするなり。
愛之理心之徳の六字の義は、乃ち先儒の未だ発せざる所にして、朱文公始めて之を発す、其の学者に功有ること至れり。
豈に深く之を味はざる可けんや。(性理大全)
蒙引
行の字と為の字と、終にわずかも同じからず。
行は施し行ふなり、若し専ら外に在る者を指して言ふがごとし。
為は是れ営を為す、乃ち心の経営するよりして、之を外に施す、故に同じからず。(蒙引)
朱子
仁は便ち是れ本、仁は更にと無くおはる、若し孝弟は是れ仁の本と説かば、則ち頭上とうじょうに頭をく。
伊川いせん所以ゆえに為の字をもって、仁の字に属して読む。
蓋し孝弟は是れ仁の裏面より発出し来るところ、乃ち仁道を推し行ふの本、此れより始まるのみ。
仁の字は則ち流通該貫がいかんす、専ら孝弟の一事を主とせざるなり。
仁は性の上に就きて説く、孝弟は事の上に就きて説く、仁は水の源の如く、孝弟は是れ水流の第一かん、民を仁しむ是れ第二坎、物を愛する是れ第三坎なり。
仁を為すは孝弟を以て本と為す、事の本、守の本の類ひ是れなり、性を論ずれば則ち仁を以て孝弟の本と為す、天下の大本の類ひ是れなり。
二程*6の経を解する、諸儒の能く及ぶ所に非ず。(朱子)
王観濤
本を務むることを講ず、本の字、良知良能は、中に限り無き生意を含む等の語を用ひんことを要す。
まさに暗きを切するに孝弟を下す、又た根本の意において説き得て真なり。
務の字、精をあつしんを会するの意有り、立の字、栽培牢固の意有り、生の字、活潑かっぱつ洋溢よういつの意有り。(王観濤)
蒙引
本は猶ほ根のごときなり、本の字、説き得て広し、根は専ら木を指して言ふ。
仁を為すの本の字、君子は本を務む、もと立ちて道生ずの本と同じ。
故に須らくの猶の字をけて、事事じじ本有るべし。(蒙引)
伊川先生
或ひと問ふ、
孝弟は仁を為すの本と。
此れは是れ、孝弟に由りて仁に至る可きか否や、と。
曰く、
非なり、と。(二程全書[巻十九])
蒙引
始の字と本の字と同じからず、故に朱子用ひずして、根の字を以て之を貼す、蓋し必ず根の字を用ひて、まさに仁道此れよりして生ずるをあらはす。
始の字のごときは、則ち全く是れ孝弟は是れ仁を行ふ第一件の事を謂ふ、故に同じからず。(蒙引)
不明
孝弟は是れ仁を為すの本、義禮智の本は如何、と。
曰く、
義禮智の本皆な此に在り、親に事へ兄に従ひてを得せしむるは、義を行ふの本なり、親に事へ兄に従ひて節文有るは、禮を行ふの本なり、親に事へ兄に従ひて然る所以の者は、智の本なり、と。(不明)
程子
仁を行ふは孝弟より始むるを謂ふ。
孝弟は是れ仁の一事たり、之を仁を行ふの本と謂ふは則ち可なり、是を仁の本と謂ふは不可なり。
蓋し仁は是れ性なり、孝弟は是れ用なり、性の中には只だの仁義禮智の四者あるのみ。
いづくんぞ嘗て孝弟あらんや。(程子)
蒙引
聖人、人に教へて学を為さしむ、人に人とるを教ふるに過ぎざるのみ。
人の人と為る所以の者は仁なり、孝弟は則ち仁道の大本なり。
孔門の学、仁を求むるを以てかなめと為す、此の章、仁を為すは必ず孝弟に本づくを論ず、故に以て学びて時習じしゅうするの後に次ぐ。(蒙引)
程子
孝弟は順徳なり、故に上を犯すを好まず。
豈に復た理に逆らひ、常を乱るの事有らんや。
徳に本有り、本立てば則ち其の道充大なり、孝弟家に行はれて、而る後に仁愛物に及ぶ、所謂、親を親として民に仁あるなり。
故に仁を為ふに孝弟を以て本と為す、性を論ずれば則ち仁を以て孝弟の本と為す。(程子)
雙峰の饒氏
孝弟は順徳なり、上を犯すは是れ小不順底の事、乱をすは是れ大不順底の事。
徳に本有り、本立てば則ち其の道充ちて大なり、孝弟家に行はれて、而る後に仁愛物に及ぶ、所謂親を親として民に仁あるなり。
故に仁を為すは孝弟を以て本と為す。(雙峰の饒氏)
叔子
性の中に只だ仁義禮智の四者有り、なんぞ嘗て孝弟有らんや*7、此の語亦た是を得んことを體会たいかいし要す。
蓋し天下に性外の物無し、豈に性外に別に一物有りて、孝弟と名づけんや、但だ性の中に在るにあたりては、則ち但だ仁義禮智の四者を見るのみ。
仁は便ち孝弟を包摂ほうせつおはる、凡そ慈愛惻隠、皆なる所に在り。
故にだ孝弟のみにあらざるなり。
猶ほ天地一元の気のごとき、只だ水火木金土有り、水を言ひて江淮こうわい河済かせいを曰はず、木を言ひて梧檟ごか樲棘じきょくを曰はず、彼れ有りて而して此れ無きに非ざるなり。(大全)
章圖
右第二章、鄱陽はようの朱氏曰く、
此の章、孝弟を賛美して、人に力を用ひて以て仁を行ふの本を勉めしむ、仁は愛を以て言ふ、と。(章圖)
伊藤仁斎
此の章は総て孝弟の至徳なるを賛せるなり。
蓋し其の人と為りや孝弟なる者は、其の性の最も美にして道に近き者なり、則ち其の必ず上を犯し乱をすの事無きを知る可し。
此れ則ち徳に進み聖と作るの基本にして、以て仁に至る可し。
仁は道なり、孝弟は其の本なり、苟くも此の本よりして之を充たせば、則ち所謂道は生々として已まざること、猶ほ源有る水の之を導きて四海にいたり、根有る木の之をつちかひて則ち以て天に参ずる可きがごとし。
故に曰く、
孝弟は其れ仁の本か、と。
知る可し、道と云ふは、乃ち仁を指し、而して孝弟は其の根本なるを。
編者、此れを以てれを首章の次に置けり。
蓋し孝弟は乃ち学問の本根なるを明らかにせるなり。
旨有るかな。(論語古義)
伊藤仁斎
仁は天下の達道にして、人の由りて行はざる可からざる所の者なり。
しかも其の本にしたがふときは、則ち人性の善、此の四端をそなふ。
苟くも拡げて之を充つるを知るときは、則ち以て仁に至る可し。
故に孟子曰く、*8
人皆な忍びざる所有り、之を其の忍ぶ所に達するは仁なり、と。
又た曰く、
惻隠の心は仁の端なり、と。
又た曰く、*9
親に親しむは仁なり、他無し、之を天下におよぼす、と。
有子、孝弟を以て仁の本と為す、其の言相ひ符せり、蓋し孟子之を祖述そじゅつせるなり。
先儒の説に以為おもへらく、仁義は人性そなふる所の理、性中只だ仁義禮智の四者有るのみ、なんぞ嘗て孝弟有らんやと。
若し其の説の如くならば、則ち仁は體にして本なり、孝弟は用にして末なり。
是に於いて有子の言と相ひ枘鑿ぜいさくするに似たり。
故に曰く、
仁を為すは孝弟を以て本と為し、性を論ずるは仁を以て孝弟の本と為す、と。
然れども既に其の人と為りや孝弟と曰ひ、又た本立ちて道生ずと曰ひたれば、則ち其の孝弟を以て、仁の本と為したること知る可し。
然らば則ち孟子、仁義を以て固有と為せる者は何ぞや。
蓋し謂ふ、人の性は善なりと。
故に仁義を以て其の性と為せるなり、此れ仁義を以て性に名づく、ただに仁義を以て人の性と為せるに非ざるなり。
毫釐ごうり千里の謬*10、正に此に在り。
辨ぜざるからず。(論語古義)

語句解説

有若(ゆうじゃく)
有若。春秋時代の魯の人。字は子有。孔子の門弟で容貌が孔子に似ていたとされる。孔子家語弟子解篇には強識にして古道を好むと記されている。
惻然(そくぜん)
かなしみあわれむこと。あわれんで心を痛めるさま。
韓愈(かんゆ)
韓愈。唐代の詩人で文章家。字は退之、号は昌黎。古文復興を唱えて尽力。思想・詩文ともに宋代の先駆となった。唐宋八大家の一。
朱熹(しゅき)
朱熹。朱子学の祖。南宋の大儒で北宋の道学をもとに宋性理学を大成。後世に朱子と尊称される。
程伊川(ていいせん)
程伊川。北宋時代の人。兄の程明道とともに二程子と尊称される。窮理によって天理に帰すべしという思想を展開し、後に朱子学の根幹となった。
該貫(がいかん)
該暁。詳しく通じること。全面的にさとること。
坎(かん)
あな。けわしい。うれえる。ふもと。土地の陥没するところ。
牢固(ろうこ)
堅固。丈夫なこと。
活潑(かっぱつ)
精神の力強いはたらき。魚が勢いよくはねるようにぴちぴちすること。潑ははねる意で、水が勢いよく散ることをいう。
洋溢(よういつ)
みちあふれる様。広くひろがること。
体会(たいかい)
会得。体得。経験してよく理解し自分のもとすること。
包摂(ほうせつ)
つつみとりいれること。
江淮(こうわい)
長江と江淮(わいすい)。
梧檟(ごか)
あおぎりとひさぎ。どちらも落葉高木の一種。
樲棘(じきょく)
なつめ。落葉小高木の一種。
祖述(そじゅつ)
先人に基づいて述べること。
枘鑿(ぜいさく)
合わないこと。枘は円で、鑿は方(四角)。また、枘は柄を差し込む穴、鑿は穴をあけること、うがつ器。
毫釐(ごうり)
きわめてわずかなこと。
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  • *1(仁)義禮智信
  • *2韓愈の号
  • *3仁義礼智信
  • *4仁は愛なのではなくて愛の理なのだ、ということか
  • *5近思録に程氏の曰く、四徳の元は猶ほ五常の仁の如し、云々
  • *6程明道、程伊川の兄弟をいう。共に北宋の儒者。
  • *7曷嘗有孝弟来の来は哉に通じや・か
  • *8孟子公孫丑上
  • *9孟子尽心上
  • *10礼記経解。毫釐の差は千里の謬り。わずかな違いが大きな違いになること。

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