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酔古堂剣掃-醒部[90]

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原文

氣收自覺怒平。神斂自覺言簡。容人自覺味和。守静自覺天寧。

書き下し文

気収まりて自ずからの平らかなるを覚え、しんおさまりて自ずから言の簡なるを覚え、人を容れて自ずからの和するを覚え、せいを守りて自ずから天のやすきを覚ゆ。

現代語訳・抄訳

鋭気収めて自然と憤怒悠々たるを覚え、心神収めて自然と言語簡明なるを覚え、人を容れて自然と味識和合するを覚え、静を守りて自然と天地広大なるを覚ゆ。

出典・参考・引用
塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」28/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」28/385
関連タグ
酔古堂剣掃
陸紹珩
古典
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備考・解説

怒の平らかなるは、感情に動かされての怒りとは異なり、悠々とした怒りであろう。
大学に「仁人のみよく人を愛し、よく人を悪む」とある所以、顔回の所謂「怒を遷さず」に通ずるか。
言の簡なるは、心神収めてあるがままなるが故に簡である。
故に曰く「神人の言は微、聖人の言は簡、賢人の言は明、衆人の言は多、小人の言は妄」と。
味の和するは、なにともいえぬ容態をいう。
器量大なる人の風格であり、人々の大西郷を敬慕し続ける所以である。
天の寧きは、天人合一の謂い、己と天と一にして天の広大なるはそのまま己なるをいう。
王陽明曰く「心に私欲の弊なければ即ちこれ天理、外面に一分を添ふるをもちいず」と。
静なればこそ、その帰を一にして滞留の処なし。

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