酔古堂剣掃-醒部[73]
原文
神人之言微。聖人之言簡。賢人之言明。衆人之言多。小人之言妄。
書き下し文
現代語訳・抄訳
至れる人は微言にして測り知れず、聖人は簡易にして深意あり、賢人は明瞭にして察し易く、衆人は多言にして中身なく、小人は妄言して乱すのみ。
- 出典・参考・引用
- 塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」26/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」24/385
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備考・解説
事を複雑にするは人であり、真実は常にシンプルである。
余りに多なれば妄となり、人は何がなにやら分らなくなって惑う。
弁舌の士に人々が右往左往する所以である。
本物は明であり、更にゆけば簡であり、至れば微である。
人が分るのは事を分つから分るのであって、事を分っておるから賢人は明となり、聖人は分たずして全体のままであるから簡となる。
しかし、凡人にとっては全体を全体としては分らぬから、簡であっても分らない。
ただし、それは真実に近い故に、代わりに共感を得るかもしれない。
至れる人はその全体としてすらも無いが故に微である。
有る無しすらも無く、有無の間にすら居らないのである。
故に人々は分りもしないし共感すらもしない。
大地に住み、大気に生かされ、宇宙の中に在るが如きである。
故に東嶺円慈曰く「魚は水中に居て水を知らず、人は妙法の中に居て妙法を知らず」と。
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