1. 范曄 >
  2. 後漢書 >
  3. 列傳 >
  4. 卓魯魏劉列傳 >
  5. 41
  6. 42
  7. 43
  8. 44-46

范曄

このエントリーをはてなブックマークに追加

後漢書-列傳[卓魯魏劉列傳][42]

桓帝の時、大將軍へいす、五たび遷して司徒長史たり。
時に京師に地震す、特に詢問じゅんもんし見す、再び遷し、出でて東海の相と為る。
延熹八年、尚書令を徴拝し、南陽の太守に遷る。
三郡を典歴し、温仁多恕おんじんたじょ倉卒そうそつ在りと雖も、未だ嘗て疾言遽色しつげんきょしょくなし。
常に以為おもへらく、「之をととのふるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し」と。
吏人に過有り、之を罰するに蒲鞭を用ひ、辱を示して苦を加えず。
事に功善有らば、之を推して自下じかす。
災異さいいあらば、を引きて責にふ。
県に行きて亭傳ていでん止息しそくするに、すなは学官がっかん酒祭しゅさい及び處士しょし諸生しょせいを引きて経を執りて對講たいこうす。
父老ふろうに見ゆれば農里の言を以て慰し、少年には孝弟こうていの訓を以て勉む。
人、感じて徳を興行こうこうし、日に化する所有り。

現代語訳・抄訳

桓帝の時、大将軍の梁冀に招聘された劉寛は、五度昇進して司徒長史になった。
ある時、都に地震がおき、特別に下問されて謁見し、再び昇進して東海の相となった。
延熹八年、劉寛は尚書令を拝名し、南陽の太守となった。
三郡を歴任し、温仁多恕にして如何なるときも疾言遽色の様態を見せたことはなかった。
常に思うことは、論語にある「刑罰によって治めるのでは、民は刑罰を逃れることに恥じを感じることはない」という言葉であった。
部下に過失があって罰する際には蒲鞭を用い、その罪を恥ずかしく思わせるだけで痛みの苦しみを加えることはなかった。
功績があればそれを推称してへりくだり、災害が起れば自らその責を被った。
県へ巡視して駅舎に留まる毎に、多くの人々を招いて経書を用いて講義を行った。
父老に会えば農里の言葉で慰労し、少年に会えば孝弟の大事さを訓示した。
人々はこの人柄に感じて徳を修めることに励み、日々その感化がなされていったという。

関連タグ
范曄
後漢書
出典
  • この項目には「2個」の関連ページがあります。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

語句解説

辟(へい)
召す。仕える。招聘する。また、「つみ(刑罰)」の意に用いられることもある。
詢問(じゅんもん)
諮問。たずね問うこと。
倉卒(そうそつ)
あわただしい様。にわかに、急遽に。
自下(じか)
卑下。へりくだること。
災異(さいい)
災害異変、自然界の大きな異変。
亭伝(ていでん)
亭傳。宿場。駅舎のこと。
止息(しそく)
とどまり休む。事が終わること。休息すること。
学官(がっかん)
学校の教職員。漢代以後、大学の講座のこと。
酒祭(しゅさい)
中国で学政をつかさどった長官。年齢・徳望ともに高い人のこと。
処士(しょし)
處士。教養がありながら官に仕えないもの。在野の士人。
諸生(しょせい)
多くの学生。門弟。
父老(ふろう)
郷の老人たち。村のおもだった老人。老人に対する尊称。
興行(こうこう)
盛んにすること。励むこと。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

関連リンク

後漢
光武帝・劉秀が新の王莽を倒して建てた王朝。漢は王莽に簒奪され一度…
仁とは一切を包容する分け隔てない心である。仁であってはじめて是を…
ゆるす、おもいやる、はかる。恕とは如の心、即ち、一切を包容して進…
疾言遽色
あわただしいもの言いと、うろたえた顔つきのこと。せかせかとして落…
徳は原字の直+心に行動を表す「彳」と書かれる。字から読み取ると、…
「易」と共に東洋哲学の最も深い根本概念。自然と育ててゆく力。そう…
感化
人を共感させ、感じさせ化する。強制的な部分などはなく、自発的に相…


Page Top