酔古堂剣掃-醒部[60]
原文
知者不與命闘。不與法闘。不與理闘。不與勢闘。
書き下し文
知者は命と闘はず、法と闘はず、理と闘はず、勢と闘はず。
- 出典・参考・引用
- 塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」24/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」21/385
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備考・解説
ここでの知者は、知識などの外に在るものではなく、本質を知る者をいう。
命は自分を尽しても如何ともし難いもの、天命をいう。
例えば、自分がいま生命を得てこの世に在るは天命である。
故にこれと闘うには非ずして、これを受け入れて抱懐し、ひたすら己を尽せばよい。
法はそこに在っては守るべきところ、法律・法則をいう。
孔子は魯の司寇となりし時、法に則って私意で曲げず、諸葛亮もまた厳格公正であった。
ただし、自分にとっての法がそれを超越し、私意なくして人情に適うならば、覚悟を以て為すは是である。
宗密禅師、死刑を示されて曰く「吾が法は難に遇う者あれば之を救うのが眼目である。そのためには死もまたやむを得ぬ」と。
これは法と闘うには非ず、自己の法、国家の法、共に受け入れて己が義を尽せしのみ。
理は自然にして帰するところをいう。
人情に帰して情理、道に帰して道理、天に帰して天理という。
情理に適えば人々は皆なこれに従う、故に理の帰するところは順であり、順にして治まるは自然の道理である。
勢は自然の流れをいう。
孫子曰く「激水の
勢が是ならば従うべし、非ならば避くべし。
また曰く「鷲鳥の疾き、
勢は節を得ざれば用を為さず。
順に非ざれば勢の衰えるは自然の道理なり。
故に真の勢は天に適い、真の理も天に適い、真の法も天に適う。
故に楠木正成曰く、「天は明にして私なし」と。
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