酔古堂剣掃-醒部[43]
原文
脱穎之才。處囊而後見。絶塵之足。歴塊以方知。
書き下し文
現代語訳・抄訳
英傑の本質はこれを
- 出典・参考・引用
- 塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」22/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」17/385
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
備考・解説
脱穎の才は史記・平原君にある毛遂の嚢中の錐の故事(原典では穎脱)。
平原君が「賢士が世に処るのは
この後、毛遂は平原君に従って楚との盟約を成就させるに至った。
士は己を知る者の為に死す、
塊は通常、かたまりの意だが、傀と通じて「ひとりのさま」に用いる場合がある。
例えば塊坐で独坐、塊然ですぐれてひとり安らかにあるさまの意味となる。
絶塵の故事には顔回が「常に先生についていこうとしていますが、先生が塵を絶つが如く奔り出すと、私は独り取り残されて瞠目するばかりです」(荘子・田子方)と述べていることを想えば、「塊を歴て知る」の意味が何となく分ると思う。
なお、注釈には「絶塵の足は走ることの極めて速くして塵埃の上に超佚すること、千里の名馬、名馬は土塊の上を?(読取不能)て走りて然る後知らるるなり」とあるが、釈然としないので採らない。