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酔古堂剣掃-醒部[24]

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原文

仕途雖赫奕。常思林下的風味。則權勢之念自輕。世途雖紛華。常思泉下的光景。則利欲之心自淡。

書き下し文

仕途しと赫奕かくえきなりと雖も、常に林下的風味りんかてきふうみを思へば、則ち権勢けんせいの念、自ずから軽し。
世途せいと紛華ふんかなりと雖も、常に泉下的光景せんかてきこうけいを思へば、則ち利欲の心、自ずから淡し。

現代語訳・抄訳

仕官のみちは功を挙げ名を達す。
然れども常に林下りんかの風味を思えば、権勢への望みは自ずから軽くなる。
世渡りの途は財を蓄え衣食満つ。
然れども常に泉下せんかの光景を思えば、利欲の心は自ずから淡くなる。

出典・参考・引用
塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」20/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」13/385
関連タグ
酔古堂剣掃
陸紹珩
古典
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備考・解説

赫奕と紛華は似たような意味だが、真意は多少異なると思う。
赫は文字どおり赤々と輝き、奕はた大、つまり「あまりに大きい」ことをいう。
経世済民を達するは国家の役目なるが故に、これを為す者は偉大である。
然れども多くは功成りし後に自己を失い権に溺れる。
故に隠遁の趣ある者にしてはじめて権を得るに足る。
紛華は偉大さよりも、より俗的な華やかさであろう。
紛はみだれる、もつれるといった意味があるように、華がみだれるほど多いのである。
例えば会社を経営して成功する者は華々しくはあるけれども偉大さとは異なる。
ここで利欲に惑わずして世を渡るに至らば、世俗にあって世を救うに足る。
林下、泉下ともに世間の喧騒から離れて自然に帰する境地であろう。

語句解説

赫奕(かくえき)
物事が盛んで美しい様。光り輝くこと。
紛華(ふんか)
華美。華麗。派手で美しいこと。
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