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酔古堂剣掃-法部[104]

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原文

書是同人。毎讀一篇。自覚寝色有味。佛為老友。但窺半偈。轉思前境眞空。

書き下し文

書は是れ同人なり。
一篇を読む毎に、自ずから寝色しんしょく味あるを覚ゆ。
ぶつ老友ろうゆうたり。
但だ半偈はんげうかがひて、うた前境ぜんきょうの真に空なるを思ふ。

現代語訳・抄訳

書は志を同じくする友である。
一篇を読む毎に、自ずから心に染み入るを覚ゆ。
仏は晩年の友である。
ただ半偈を窺えば、なんとも死後の真に空なるを思う。

出典・参考・引用
塚本哲三編「酔古堂劒掃・菜根譚」215/315,笹川臨風(種郎)校「酔古堂剣掃訳註」344/385
関連タグ
酔古堂剣掃
陸紹珩
古典
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備考・解説

書を同人とするは孟子曰く「一郷の善士は一郷の善士を友とし、一国の善士は一国の善士を友とし、天下の善士は天下の善士を友とする。天下の善士を友とするにも足らざれば、古人を友とする。これを尚友という」と。
志を感じて共に歩まば、寝ても覚めても忘ることなし。
寝色の意味は不詳だが、前後から類推して寝てもなお味わいあるの意に採った。
これは孔子の「吾れ老いたり。周公を夢にみざるなり」と嘆じた言葉に通ずるものであろう。
老友は注釈には「よく熟知せる友人」とあるが、ここでは素直に「晩年の友」とした。
老年の境地は孔子の所謂「矩を越えず」である。
即ち、自ずから然るのである。
夢にみざるを以て嘆ずるも、その偉大さは無常の真を体現することにある。
これを以て仏を友とし世を超越す。
半偈は雪山偈の後半二句を指し、生滅すらも滅して寂然滅法の時節を説く。
仏には空といい、儒には中といい、老には玄といい、無という。
大音は希声、大象は無形の意にして人の範疇を超える、ここに至って真の楽を得。
名誉富貴はもとよりして生死の境にも居らず、日昇りて必ず沈むが如く、その理自体を諦観して大自然と一になるのである。

儒の理想は治国平天下であり、仏の理想は解脱である。
書を友とするは、現実に処して世を救うを眼目とするが故である。
仏は世に執着しない故に偉大ではあるが、功利を処して発展させるには難しい。

語句解説

半偈(はんげ)
偈の半分。また、雪山偈の後半二句「生滅滅已(めつい)、寂滅為楽」のこと。
前境(ぜんきょう)
前の境。行く先。注釈に「行く先、即ち死後」とある。
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