孝経[諌諍]
原文
曾子曰。若夫慈愛恭敬。安親揚名。參聞命矣。敢問從父之命。可謂孝乎。子曰。是何言與。是何言與。言之不通也。昔者。天子有争臣七人。雖無道。不失其天下。諸侯有争臣五人。雖無道。不失其国。大夫有争臣三人。雖無道。不失其家。士有争友。則身不離於令名。父有争子。則身不陷於不義。故當不義。則子不可以弗争於父。臣不可以弗争於君。故當不義。則争之。從父之命。焉得為孝乎。
書き下し文
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曾子曰く、
敢へて問ふ、父の命に従ふを、孝と謂ふ可きや、と。
子曰く、
是れ何の言ぞや、是れ何の言ぞや、言の通ぜざるなり。
諸侯に争臣五人有らば、無道なりと雖も、其の国を失はず。
大夫に争臣三人有らば、無道なりと雖も、其の家を失はず。[1][2]
士に
父に
故に不義に当らば、則ち子は以て父に争はずんばある可からず、臣は以て君に争はずんばある可からず。
故に不義に当らば、則ち之を争ふ、父の命に従ふのみならば、
現代語訳・抄訳
曾子が言った。
慈愛を存し恭敬を持し、親の心を安んぜしめ、身を立てて祖宗の名を
敢えて問いますが、父の命に従うことを孝というべきでありましょうか、と。
孔子が言った。
何の言ぞや、何の言ぞや、道理に通ぜざる言葉よ。
昔から、天子に争臣が七人居れば、無道であってもその天下を失うことはなく、諸侯に争臣が五人居れば、無道であってもその国を失うことはなく、大夫に争臣が三人居れば、無道であってもその家を失うことはなく、士に
故に不義に当たれば、子は父に争うべきであるし、臣下は主君に争うべきである。
不義に当りてこれを争う、父の命に従うのみならば、どうして孝となせようか、と。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」66-69/88
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備考・解説
盲従は不孝不忠の至り、争うことは不孝に非ず、ただ慈愛恭敬有らずして争うは不孝なり。
争う所以は悪むに非ず、正に帰して善に導かんことを欲すればなり。
慈愛恭敬有らば善を責めず、ただ、己が善を以て導くのみ。
孟子の所謂「父子の間は善を責めず」の語を忘れ給うべからず。
注釈
語句解説
- 曾子(そうし)
- 曾子。曾参。春秋時代の思想家。字は子輿。孔子の弟子。孝行で知られ、「孝経」を著したとされる。
- 道揆(どうき)
- 道理にはかる。人としての道理によって物事を定めること。揆は「先聖後聖、その揆一なり」とあるように万世不変の理をいう。
- 正諫(せいかん)
- 諫言。正しい意見を述べて諌めること。
- 降諫(こうかん)
- 相手に降りながら諌めること。受け入れたうえでの諌め。
- 忠諫(ちゅうかん)
- 忠義心から諌めること。真心を尽して諌めること。
- 戇諫(とうかん)
- 愚直に遠慮なく諌めること。戇はおろか、つたない意。
- 諷諫(ふうかん)
- それとなく諌めること。遠まわしに諌めること。
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