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孝経[廣至徳]

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原文

君子之教以孝也。非家至而日見之也。教以孝。所以敬天下之為人父者也。教以弟。所以敬天下之為人兄者也。教以臣。所以敬天下之為人君者也。詩云。愷悌君子。民之父母。非至德。其孰能順民如此其大者乎。

書き下し文

[非表示]

君子の教ふるに孝を以てするや、家ごとに至りてびに之を見るに非ざるなり。
教ふるに孝を以てするは、天下の人の父る者を敬ふ所以なり。
教ふるにていを以てするは、天下の人の兄る者を敬ふ所以なり。
教ふるに臣を以てするは、天下の人の君る者を敬ふ所以なり。
詩に云ふ、
愷悌がいていの君子は、民の父母なり、と。
至徳に非ずんば、其れたれれか能く民を順すること、此の如く其れ大なる者あらんや。[1][2]

現代語訳・抄訳

君子の人々を教化するに孝を以てするや、家々を訪れてこれに教えるには非ずして自らの身を以てこれに示すのである。
教えるに孝の道を以てするは、天下の人がその父を敬うに至る所以であり、教えるにていの道を以てするは、天下の人がその兄を敬うに至る所以であり、教えるに臣の道を以てするは、天下の人がその君を敬うに至る所以である。
故に詩経の大雅泂酌けいしゃく篇にはこのように詠われている。
愷悌がいていの君子は、民の父母なり、と。
至徳に非ずんば、どうして民を和順せしむることの、かくのごとくに大なる者があるだろうか。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」59-61/88
関連タグ
孝経
曾子
古典
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注釈

大塩中斎
孟子曰く、仁の実は親に事ふることなり、義の実は兄に従ふこと是なり、知の実は斯の二の者を知りて去らざること是なり、禮の実は此の二の者を節文す、楽の実は此の二の者を楽しむ、楽しめば則ち生ず、生ずれば則ちいづくんぞ已むべけんや、いづくんぞ已むべくんば、則ち手の舞ひ足を踏むを知らずと。
孟子亦た直ちに此の経義を解するのみ。
我れ常に謂ふ、孟子七篇の要は、統括皆な孝経にあり、豈にまことに然らずや。(大塩中斎)
中江藤樹
君子の教一句、以て教化の真は専ら上天の載色もなく臭もなき上に在って、而して声色の末に求めざることを開示す。(中江藤樹)

語句解説

愷悌(がいてい)
やわらぎたのしむ。愷はたのしむ、やわらぐ意、悌はやすらか、たのしむ意。
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