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熊沢蕃山

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孝経小解-喪親[5]

生につかへて尽くせる愛敬の心、死には、変じて哀戚あいせきとなるなり。
同じく天地の一気なれども、春夏の気は愛敬のごとく、秋冬の気は哀戚あいせきのごとし。
中江氏云はく、
人の孝徳有る、猶ほ木のこん有るがごとし、故に孝を以て生民の本と為す。
尽くは其の極に至りて、而して遺す無きの謂ひ、性を尽すのじんと同じ、と。
死生の義は、死につかえて哀戚あいせきすといえども、哀戚あいせきに終はるべからず。
死生は昼夜の道にして、理の常なり。
形死すといえども神は天地の気に合して亡びざる故に、孝子は親を死せりとせず、喪を除ひて吉礼きつれいに変じ、父母の神につかふる事、そんに事ふるがごとし。
形、死して神生ず、是れ死生の義なり。
生に事へ、死に事へ、しんに事ふ、道理、森然しんぜんとして備はれるなり。

生民せいみんの本、尽せり、死生の義、備はれり、孝子のしんに事ふること終はれり、此の三句は、孝経一篇の結語なり。
孝の始、中、終を経に説き給ふ事終はりたるなり。
孝子の親に事ふる事、其の身死せざればまず、死しても子孫に祭りを絶たざるように仕置しおく事なれば、死してもまざるなり。
孝子に事ふる始終は、孝経一篇に見えたり。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」77-78/88
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