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熊沢蕃山
孝経小解-喪親[3]
衣は死者を沐浴して衣するなり。
衾は尸に薦き覆ふに用いる単被なり。
棺は木を以て箱を作りて、尸をいるるなり、槨は外棺なり。
挙は心を尽してととのへ終はって、挙げ置くなり。
上古は棺槨なし中野に葬れり。
直ちに土に帰して、其の上に木をきりかけて、犬狼の害に備へたり。
其の時は生まるる人も家もなし、穴居、野處なりき。
人死して魂気は天に帰す、ゆかずといふ事なし。
魄體は土に帰す、常の理なれども、後世の聖人、大壮の象(雷上天下)によりて、家屋を作り給ひ、人、穴居、野處をはなれたる時より見れば、妻子、屋に住みて、父母の尸直に土を着くこと、死に事ふこと生に事ふる如くなる孝子の情に、忍びざる心ある故に、後世の聖人、大過の象(澤上風下)に取りて、棺槨を作り給へり。
大過は風木兌澤の下にあり、木、土に入るなり。
是によりて木を伐りて箱を作り、尸を入れて土中に葬れり。
初めは棺ばかりなれども、屋の外に門垣出来たるにかたどりて槨出来たり。
次第に念入れ過ぎて、甚だ木厚になり石槨なども、出来しかば、木の厚さの制法はじまれり。
孔夫子、石槨を作りたる者を見給ひて、死してはすみやかに朽ちなんか、まされるにしかじとのたまへり。
本理を知らず、末になづみて、却って道理を失へり者のために、此の言あり。
過ぎたるは猶ほ、およばざるがごとしの意を示し給へり。
簠簋は祭器なり、祭器をつらねて飲食をすすむれども、親を見ざるが故に哀戚す、これ喪の中の祭りなり。
擗は手を以て胸を撃つ、踊は足を以て地を躑なり、哭は口に声あり、泣は目に涙あり、是れ柩の行くとき、形を送りて、往きて返らざることを哀しむなり。
踊は幼少の子を見るに、甚だしくかなしむとき口に声あり、目に涙あれども、情をのぶるに足らざれば足りずりするがごとし。
宅は墓穴なり、兆は墓の外の囲ひなり、卜はうらなひて神に決す、先づ、人知を以てはかりて後、卜筮に及ぶなり。
所謂、謀、乃じの心に及び、謀、士民に及びて後、謀、卜筮に及ぶ、といへり。
人知の択びは、地、風、水、泉、砂、礫、樹、根、螻、蟻の属なく、後々、城廊、溝池、道路となるべからざる所を見るなり。
中州は土厚く水深くして、多くは葬地によからず、人知の択び、心にかなひたる上なほ神に決して吉なり。
故に安措す、安措は安んじ置くなり。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」75-76/88
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語句解説
- 棺槨(かんかく)
- 棺椁。ひつぎと外棺。棺は内棺で、槨は外棺の意。
- 簠簋(ほき)
- ともに食を盛る器。祭器。簠(ほ)は黍(きび)等を入れ、簋(き)は煮炊きしたものを入れる。
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